• 所感 ・日本の向かう道
所感・日本の向かう道
          
 この世紀末を語ろうとするとき、混迷・混沌という修飾語が常についてまわっている。かつて我々にとって「未来」は明るい夢に彩られていたこともあった。しかし今日、経済状況の低迷が世相全体を色付け、日本における高齢化・少子化、世界的には地球規模の環境破壊、人口爆発といった状況に、若者の多くが未来に「明るい夢」を結び得ないでいる。が、それ故にこそ、この混沌とした閉塞状況を切り開く力(=夢を抱くこと)が一人一人に求められているのだ、と語り続けたい。
 ところで、元旦の「読売」の「ゆがんだ戦後民主主義の軌跡を正し、活力ある日本の進路を開け」という社説を読んで唖然とした。
 そこでは「日本社会の活力の低下」の根源的要因として「戦後民主主義」をあげ、その「三つの大罪」は「国家敵視が生む無責任な風潮」「結果平等を追求する平等至上主義」「安保反対、一国平和主義」の三点であるという。さらに社説は「活力ある日本の進路」は「改憲」「軍国化」「金持いじめから貧乏人いじめの税制改革」「消費税引き上げ」によって開く、と論じている。 昨年の社説は確か「改憲論」であったから、この戦後民主主義否定は同一路線上のものではある。が、この今の混迷した状況に事寄せて、その原因を自己正当化のために戦後民主主義に押し付けて、戦後民主主義を否定するるという論理の粗雑さにはあきれはてた。
 更にこのゆがんだ認識(・悪質なプロパガンダ)が一般紙の年頭の社説に記されていることに驚いた。そしてこの論理を許すところに、日本知識人の精神的衰弱を感じない訳にはいかない。社説論者の説を敷延すると列島改造論以降の高度成長もその後のバブル崩壊も皆「戦後民主主義」のもたらした結果だったということになるのであろうか? まさに混迷の極みではある。
 しかしこうした論調が一般になりつつあることに危機意識を新たにしなければ、と思う。また活力(・夢)はいかにして生まれるか、若者の夢が年々小市民的になるのを嘆くだけではなく、共に考えたい、と思う。
                          「混迷の世紀末を迎えて」

 以上の文章は1999年元旦に記したもの。
 それから早くも5年が経った。
 そして、この混迷の方向はいよいよ強まり、なし崩し的に「自衛隊の海外派兵」にまで進んだ。「国際社会の中で日本の果たすべき役割」を憲法が明確に示しているにもかかわらず、それを具体化し実現する方策を模索することなく、日本の独立を捨てて「日米安保」にのみ日本を委ねている。さらに、日本の思想的貧困はついには「共産党」が天皇制を容認するというまでになっている。共産党も「政党」であって、「思想集団」ではないと言うことか。
 あるべき日本の姿を真摯に語る人の少なくなったことを嘆いても、埒はあかないが、国際社会の中で日本の果たすべき役割は、大国の利益優先ではなく、全地球的調和を求める調整を図ることにあるのではなかったろうか。このことを主張するのは、政治的と言うより、「人類はいかに生きるか」という哲学的・思想的背景無しには語り得ないからである。
 混迷の原因は、日本の未来像を隠微に隠しながら、姑息に邪な方向にねじ曲げようとしている、あるには方向を確信を持って示し得ない政治の姿にある。それ故「夢」を持ち得ない若者たちが、革新を唱えず、成り行きに任せる無責任無関心に徹しているしかなくなっているのだ。
 それは若者の責任ではない。
 では、若者が「夢」を持ちうる環境とは、何か。
 若者が己の力を発揮しうると信じられる未来像を如何にして作りうるか。それは経済的「富」ではない。では精神的「富」か。
 そう、まさに大人が精神的に豊かであるかが問われているのだ。「活力ある日本の進路を開け」と主張する時、「活力ある日本」像とは何かが、問われているのだ。大人が「活力ある未来」を語り得ないで、それを乗り越える若者が未来像を提示できるわけがない。先の社説にいう「活力ある日本の進路」は「改憲」「軍国化」「金持いじめから貧乏人いじめの税制改革」「消費税引き上げ」によって開く、と誰が信じるだろう。    2004.1.
                                        
 2005年の元旦に思う
「発展」よりむしろ「衰退」にこそ「脱戦後」の国家戦略は構築されねばならない
 @来年をピークに日本の人口は減り続けていく。少なくとも今後30年は生産年齢の人口は減少し続ける。非生産者・高齢者は増加し続ける。この世界に例を見ない社会構造をどう生き抜くのか。この国家の有り様を誰が方向付けるのか。どうあるべきなのか。
 A「"GHQによって培養された戦後民主主義"の"幻想"を捨てられない"守旧"の"勢力・思考様式を払拭し"、"唯一の超大国アメリカの世界戦略の再編化"に組み込まれる国家体制を"憲法・教育基本法を改正"して構築せよ。」(読売新聞元旦社説)という流れはますます強まっている。この状況は、戦後アメリカ左派に従ってこの60年発展しながら、いまの不都合の因を自らのこの間の有り様の中に求める事なく、今度はアメリカ右派の求めるままに自ら身を売ろうとする、まさに"愛国心"の無いふるまいと言わざるを得ない。愛国心を言うなら、日本の真の独立の姿をこそ語るべくではないか。では、「真の独立の姿」とはどのようなものであろうか。

 さて、この@とAは同じ像を結ばねばならないはずである。
 国際社会の有り様、日本に出来ること、その政治的・戦略的・経済的・文化的有り様を一つ一つ検証したいという思いが湧いているが、全体像を語りうるまでの基礎的知識もない。思いつく処で、少しずつ語ろう。

 去年夏、数月のブランクを置いて教室に戻った。当初大きな変化は感じなかったが、授業を進めていくと戸惑うことが多くなった。16才の青年達は実に皆素直である。譬えてみれば犬のように、あるいは猿のように。はっきり言えば刹那的で、思考の連続性を保てない。(以前集中力と言う言葉がよく使われたが、単に集中出来ないというのではない。思考を重ね持続する、筋道を追って思考する能力がうまく育っていない。「筋を追う・筋をつくる」能力が弱いから瞬間的刹那的にならざるを得ないのだ。)
 この傾向は実はこの十数年加速しているように感じていた。バブル期に生まれ成長した世代の添加物の多い食生活に問題があると疑っていたことがあったが、どうも食べ物だけではなく、まさに食べる環境(家庭・社会)にあるのかもしれないとその因を勘ぐっている。と言って、すべてを食べ物の所為にするわけにもいかない。真面目に分析したい。
 時代の閉塞感はいつの時代もあった。そして、その閉塞感こそが時代を変革するエネルギーになっていた。現状を見ると、この閉塞にたいして若者の多くは全く無自覚であるらしく、その閉塞感はなんの力にもなり得ない。ネットを介しての集団自殺に見られる脆弱な精神構造はまさにその典型である。しかしその精神構造は時代全体として決して特異なものでなく、むしろ時代の顕著な現れと見た方がよいだろう。
 教育・国語の現場で言えば、
 @黒板をひたすらまる写しして、思考しないで済んでしまう教育体制になってしまった。
 A生きる力としての学力(思考訓練)の視点が教える方にも教えられる方にも欠如している。
 @大学にはいるための学力養成を推し進めてきた結果、大学にみんなが入れる時代を迎え「勉強」しなくて良い・「勉強」する意味を見いだせないでいる・状況が生まれた。

 そこで、こうした青年をとりまく精神的環境かなぜ生まれたのかを考えてみた。
 @社会と家庭の有り様・現状をつくっている大人が、若者を生かす場をつくっていない。
 A若者の夢を持てる国家の方向が示されていない。
 B若者に何を期待するのかの教育方針が定まらない。
 C少子高齢化、ソ連崩壊後の知識人の精神的衰退、IT社会の希薄な人間関係から来る人間不信等、経済・政治・社会・文化の状況がが若者に夢のある未来像を持たせない。
 このように挙げていくと、これら全て、混迷のただ中にある日本の姿であり、「夢の持てない」という一つの状況にも思える。
 勿論私の周りにも「夢」に向かって邁進する青年は個々に挙げていけば多くいる。ただ全体像として上記のような状況を見るのである。
 では、青年を生き生きさせる環境整備はどうすべきなのだろう。(これこそが教育行政の問題だろう)
 多方面に渉ることになるが、まず、国際社会の中で日本の果たすべき役割はどのようなものかという、日本のあり方から議論は始まるであろう。強大な力で世界を方向付けようとするアメリカのあり方が唯一の正義でないことは国際的な視野に立てば明らかで、私はそのアメリカに一辺倒に頼るこの国のあり方はやはり肯定できない。真の独立を求め、国際社会の中で独自の地位を築くべきであり、その姿が明快に示されてこそ、若者も希望を持つというものだろう。例えば国連の中での日本のあるべき場所は決してアメリカの属国(その方針に追随し補強する)いう位置を求めるべきではない。寧ろその暴走を正し、政治力学の多様で錯乱しそうな状況を的確に調整する役割をこそ求めるべきである。国際的には栄誉ある地位を占め、そして国内的には多分その姿は「発展」を追うものではなく、経済的側面からすれば「衰退・停滞」した状況になるのかもしれない。しかし、社会的には福祉と文化の高まりを実現しているはずである。これらは極めて政治的であり、その政治の具体的姿を個々に示し得るほど私は政治屋ではないが、日本の国が持つ伝統的文化的価値観世界観は、世界の混乱を調整し得るものと考える。国際社会でそういうリーダーになりうる国であることを基盤にしたこの国の姿を明らかにすべきだろう。
 次に、社会との係わりに意識的になり、己の生きる意味を問う、社会性に目覚めた青年を育てることをを基本にして「教育方針」も定めるべきであり、そこから学校の具体的あり方も定まるのではなかろうか。
 私は政治的アジテーションをするつもりはない。「政党」に属しているわけでもない。しかし、今の政治の有り様にほとんど絶望的感慨を持たざるを得ず、それが青年達の精神の成長に直接関わっていて、彼らの健全な成長を阻害していることを憂うばかりなのだ。
 
 ここで、日本の在り方について少し考えた。それを箇条書きしてみると、以下のようなものになった。
 @宇宙船地球号としての危機的状況についての認識。
 A世界の多様な価値観の概観。
 B未熟な精神には価値の多様性に対応することは出来ない。
 C背骨(バックボーン)無しには多様性に立ち向かえないか。
 D多様な価値を受け入れるバックボーンとはどのようなものか。
 E「一神教」と「多神教」の議論に見る世界観。
 F単一価値観は排他的にならざるを得ないのか。
 G「共生」の精神を基盤にした世界像。
 H日本の現況
 I多様な価値観・国家間を調整できるのは誰? それこそが日本の役割。

 この目次みたいなものが考えたことであったが、これを書こうとして、今更「国」という概念で地球の今後を考えても解決の道はないとも思える。では、国を超えてこの地球に生きる場を示す概念は生まれるのだろうか。経済圏・言語圏・人種・宗教がその概念の核で有り続けるのだろうか。思考は迷路に入り始めている。
                                         2005. 1. 3

《参考》
T 出生数またまた最低…2004年は110万人
 2004年の出生数が、1899年(明治32年)の集計開始以来、最低の110万7000人(前年比約1万7000人減)となる見通しであることが、厚生労働省の人口動態統計の年間推計で分かった。 出生数の減少は4年連続。厚労省では、子供を産む世代の女性の数自体が減っていくため、出生数減少は今後も続くとみている。 出生数の減少は、年間200万人以上が生まれていた第2次ベビーブーム(1971―74年)世代が30歳代を迎えて婚姻件数が減少し、72万5000組(前年比約1万5000組減)にとどまったことなどが要因とみられる。 一方、死亡数は、2年連続で100万人を超え、102万4000人(前年比約9000人増)と戦後では1947年(113万8238人)に次いで2番目に多くなる見込み。 (2005/1/1 読売新聞)
U 出生数の推移 平成16年 人口動態統計の年間推計
  
   厚生労働省人口動態・保健統計課 平成12年 人口動態統計月報より
V 「地球に今、何が起こっているか」
  坂田俊文監修(東海大学情報技術センター所長・教授)
  KKベストセラーズA5判 / 230p 本体価格 1400円
 目次概略
  第T章.地球環境の変動−奇跡の星に今起こっていること
   [地球温暖化]
     ・地球の気温は急上昇を続けている
     ・崩壊した二酸化炭素循環の図式
     ・このままでは国土の8割が水没する など
   [オゾン層の破壊]
     ・オゾン層がなくなると生物は死に絶える
     ・オゾン層はどのように破壊されるのか
     ・主なオゾン層破壊物質とその規制 など
   [酸性雨による環境破壊]
     ・硫酸や硝酸が雨となって降り注ぐ
     ・酸性雨がもたらす具体的被害は など
   [熱帯林の破壊]
     ・あと100年で熱帯林はすべて消滅する?
     ・温暖化の促進、生物の絶滅 など
   [拡大する砂漠化]
     ・サハラ砂漠はかつて大森林地帯だった
     ・地球の4分の1が「砂漠化」している など
   [人口問題]
     ・毎年9000万人ずつ増える世界人口
     ・人口増加→貧困→環境破壊の悪循環 など
  第U章.環境ホルモン汚染−人類は子孫を残すことができるのか
     ・合成化学物質からの手痛い復讐
     ・偽ホルモンで体内のホルモンがかく乱 される
     ・ヒトへの影響も続々と報告
     ・「化学物質過敏症」は他人事ではない など
  第V章.ダイオキシン汚染−災いを大いなるシグナルとするために
     ・1グラムで1万人を殺す毒性を持つ
     ・副産物としてたまたま生成されたもの
     ・やっぱり多い「魚からダイオキシン」 など
  第W章.ウイルスの逆襲−この抗争が終わることはない
     ・病原体の反撃が今始まる
     ・感染と発病の驚くべき仕組み
     ・死にいたる病「エマージングウイルス」の脅威 など
  第X章.核の脅威と核エネルギー−可能性は悲劇を超越するか
   [核の脅威]
     ・核兵器の現状とその歴史
     ・核兵器廃絶への道 など
   [核エネルギーによる放射能汚染]
     ・最大の原子力推進国家、日本
     ・原子力発電の現状
     ・このままでは「トイレなきマンション」だ など
  第Y章.宇宙からの訪問者
   [巨大隕石の衝突]
     ・巨大隕石の衝突で死滅した恐竜
     ・地球的危機をもたらす巨大隕石とは
     ・巨大隕石が衝突したらどうなるのか など
   [宇宙人の侵略]
     ・異星人が存在する可能性
 この本は、環境問題、ウイルスの逆襲、核兵器、原子力発電にともなう放射能汚染、巨大隕石の衝突など、人類が破滅する可能性のあることがらについて、できるだけ分かりやすく述べたもの。地球は無限な場所ではな、宇宙を航海している船と同じ。当然、食料やエネルギーには限りがある。船の内部で火災が発生すれば、有毒ガスが船内に充満し、温度が上昇する。もし、永遠に海洋を船で航海しなければならないとしたら、船内にある食料や燃料には常に神経を使っているはず。今現在、この宇宙船地球号の中で、さまざまな危機的状況が、同時多発的に発生し、確実に破滅という臨界点へ近づいている。それも、今地球上に生活している我々に直接関係のない遙か未来の話ではなく、現状の状態が続けば、わずか50年先のこと。既にそこまで地球は、追い詰められているということです。
                                                  

W 日本国憲法9条についての参考
以下は「OKWebコミュニティ」にある質問と回答の引用です。
 日本国憲法9条が平和を守るというならば、他の国が日本国憲法9条と同意義の条文を自国の憲法に入れないのは何故ですか?  これをつければ絶対に泥棒に入られない装置ってのが開発されたら(そしてその効果が実証されたら)みんな家につけますよね?家に泥棒が入って喜ぶ人なんていないんですから。日本国憲法9条は例えるなら「泥棒に入られない装置」と同じものだとおっしゃっているのでしょう?それなら,「侵略されたくない国」はすべてそれを「使う」のが筋だと思うのですが? takayuki_kato

 >日本国憲法9条は例えるなら「泥棒に入られない装置」と同じものだとおっしゃっているのでしょう?
  >それなら,「侵略されたくない国」はすべてそれを「使う」のが筋だと思うのですが?
 この前提が違うのではないでしょうか? 第9条の内容はそのようなことは言ってないですよ。 せいぜい「泥棒が入ろうとしていても武器で撃退しない」と言っているだけです。 それと、第9条の有効性はまだ実証されていないので、だれもこの装置をつけないのです。 実際のところこれを実証するのは無理でしょう。どんな対策を講じても「絶対に侵略されない」と言い切ることはできませんから。
  国家間の問題を人間同士の問題で語るのはちょっと無理がある部分もありますが、「お互いが武器を持って自分を守る」という方法のほかに「お互いを信頼してお互いを守る」というのもあるよ、というのが第9条の基本的な考えだと思います。 どちらが有効なのかは私やあなたが生きているうちには証明されないでしょう。残念ながら。crum

お礼:  早速の回答ありがとうございます。個人的意見としては…私もほぼ等しい意見を持っていると思うのですが,第9条の有効性を信じて疑わない方もいるようですから,そういう方々は何を根拠にそうお考えなのかを伺えればと思い今回質問させていただきました。
 まあ,もちろん国家間の問題のすべてが「お互いを信頼してお互いを守る」ことで解決されればそれが一番すばらしいということに何ら異論はないのですが。

                                   以上

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