「教育基本法」改定論議
1.政府案との比較表  +
民主党案 
2 リンク
3 【参考】成立時の各社社説

 政府は2006年4月28日午前の閣議で、教育基本法改正案を決定した。同日夕に国会に提出する。成立すれば1947年の制定以来、初の全面改正となる。公共心の養成や伝統の尊重を明記したほか、生涯学習や家庭教育などの条項を新設した。今国会での成立を目指す政府・与党は、5月の連休明けに衆院に特別委員会を設置し、審議を急ぐ方針だ。ただ会期延長問題も絡み、成立の見通しは不透明で、終盤国会の焦点となりそうだ。  2006年4月28日 (読売新聞の記事)

どう問題なのか考えるために、比較表にしてみた。

教育基本法(現行) 政府案 ・解説・私見

前文
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

前文
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」が抜けた。
この「教育の力」は学生時代に教育原理や教育法の時間に憲法の精神の実現と教育の一体化を示す言葉として重要な概念として学んだように思う。教育の理念を捨てることのように思われる。
真理と平和真理と正義に換わっているところの意図を「正義」という言葉の持つ色に読み取ってしまう。
現基本法では「正義」は第1条で「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた」と言う文脈の中で語られている。


(教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の方針)
第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
























(教育の機会均等)
第3条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって就学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

第1章 教育の目的及び理念

(教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の目標)
第2条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

 1 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

 2 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

 3 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

 4 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

 5 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

(生涯学習の理念)
第3条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。

(教育の機会均等)
第4条
 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

 2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。

 3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

第1条
「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた」のかわりに「必要な資質を備えた」と換えられる?

項目の名称が「教育の方針」から「教育の目標」に変更。

現行法では教育の目的を達成するための「方針」として、「学問の自由」「自発的精神」などの「自由」を掲げている。

第2条の5 
自民、公明両党は12日、教育基本法改正の焦点となっていた「愛国心」の表現について、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」とすることで合意。

全体としてみてみると「方針」を「目標」に換えて、具体的な項目を書き加え、その一つとして「5」が加わっている。「5」を加えるための項目の変更であり、また、「心」や「態度」の法制化は国家の「人格」への介入となる虞がある。

これは(教育振興基本計画)第17条の危険性と関連する。政府・文科省が勝手に具体的指示を出すことが出来るようになるのだから。


(生涯学習の理念)新設


(義務教育)
第4条 国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。
 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。
(男女共学)
第5条 男女は、互いに敬重し、協力しあわなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。





(学校教育)
第6条 法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。






















































(社会教育)
第7条 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない。







(政治教育)
第8条 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。
(宗教教育)
第9条 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

第2章 教育の実施に関する基本

(義務教育)
第5条 国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。

 2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。

 3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。

 4 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。

(学校教育)
第6条 法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。

 2 前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。

(大学)
第7条 大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。

 2 大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。

(私立学校)
第8条 私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない。

(教員)
第9条 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。

 2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。

(家庭教育)
第10条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

 2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

(幼児期の教育)
第11条 幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ、国及び地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他適当な方法によって、その振興に努めなければならない。

(社会教育)
第12条 個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。

 2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他の適当な方法によって社会教育の振興に努めなければならない。

(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)
第13条 学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。

(政治教育)
第14条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。

 2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

(宗教教育)
第15条 宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。

 2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

第5条(義務教育)
別に法律に定めるところにより、教育を受けさせる義務を負う」と、義務教育期間と6.3.制を明示しないで、通常の法改正で簡単に「期間その他」を変えられるようにしている。

「義務教育の目的」が第1条に関連して「国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的」と規定されている。
この資質の中身を誰が定めるのか。

現行法にはない(3条.生涯学習)に続いて、(10条.家庭教育)(13条.学校・家庭及び地域住民等相互の連携協力)等が新たに条文化されている。


































(教員)第9条について
「教員は、全体の奉仕者」の言葉はなくなる。
研究と修養、養成と研修の充実」 が強調され、国及び地方公共団体からの要請に応える教員像が描かれる。

















































(宗教教育)第15条に「宗教に関する一般的な教養」が挿入。
「靖国」の教育が一般的な教養の名で行うようになるのか。



(教育行政)
第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

第3章 教育行政

(教育行政)
第16条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

 2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。

 3 地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。

 4 国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。

(教育振興基本計画)
第17条 政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。

 2 地方公共団体は、前項の計画を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努めなければならない。

現行法は、教育行政は、「国民全体に対し直接に責任を負う」「この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標」としている。
改定案では、
第16条に「教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」とある。
第5条の3
にも「3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。」とあり、
国・地方公共団体は「教育に関する施策を(総合的に)策定し、実施」と教育内容への直接的介入を方向づけている。

(教育振興基本計画)第17条の危険性。
政府が、直接教育内容に介入できるように(しなければならないように)なる。
政治が直接教育に関わりだしたとき、教育は崩壊する。

「心のノート」が教育行政の原則を逸脱しているとの指摘にもかかわらず、教育現場で実施されていることに危惧を感じているが、この動きが当たり前になる条件を16・17条は示している。
 注・「心のノート」行政上の問題点
   ・「心のノート」について
(補則)
第11条 この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。

第4章 法令の制定
第18条 この法律に規定する諸条項を実施するため、必要な法令が制定されなければならない。


     昭和22・3・31・法律 25号
(2006年4月26日  読売新聞)による
見比べるとわかるように、政府案はほぼ全てに渡る変更と削除、多数の項目の追加である。
『我が国と郷土を愛する』『豊かな情操と道徳心を培う』『公共の精神を尊ぶ』『国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う』『職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う』と口当たりの良い文言をちりばめてはいる。
それによってアンケートなどでは改正に賛意を表す人も多いようが、その文言の裏に隠されている、国家の意思を危惧する。
国家を愛し、己を殺し人に従い、戦いに行くことを畏れぬ国民の育成(愛国心を鼓舞し真理を糊塗し戦いに駆り出された戦前の国民の姿そのものの育成)」は「平和主義」からの訣別である。
これは、憲法9条を放棄し、「戦争の出来る国」にして、アメリカの属国になる方向をいよいよ強める条件になるのであろう。
本当にそれがいいことなのでしょうか。


民主党案 ・解説・私見

 民主党は12日、「教育基本法に関する検討会」(座長=西岡武夫・元文相)を党本部で開き、党独自の教育基本法案要綱をまとめた。
焦点となっていた「愛国心」の扱いについては、前文に「日本を愛する心を涵養(かんよう)」するという表現を盛り込んだ。15日の「教育基本問題調査会」(会長・鳩山幹事長)で正式決定する予定だ。
 要綱は、座長の西岡氏が提示した。前文と21条の条文からなり、政府案が現行法の改正案であるのに対し、新法の形をとっている。
 「愛国心」に関する記述は、党内の慎重派や日教組などの支持団体の反発に配慮して条文ではなく前文に盛り込み、「強制力はない」(西岡氏)と強調している。また、「『国』というと、政体や政治機構を想起させるおそれがある」(鳩山幹事長)とする指摘に応じて、対象は「日本」と表記することに落ち着いた。
 政府案は、「愛国心」について、「戦前の国家主義を想起させる」などとしていた公明党との調整の結果、「我が国と郷土を愛する態度を養う」という記述となった。これに対し、民主党案は「国」という言葉を避ける一方で「心」を用いた。この記述については、「まさに自民党が欲しがっていた言葉だ」(ベテラン議員)との声も出ており、今後の国会審議の中でアピールし、与党側に揺さぶりをかける構えだ。
 このほか、前文には、「祖先を敬い、子孫に想いをいたす」と記した。宗教教育に関しても、政府案では見送られた「宗教的感性の涵養」も明記した。    
           (2006年5月12日23時35分  読売新聞)

  リンク・民主党の要綱 2006年05月12日発表
     民主党案は改定でなく新法のかたちで提案されている。
     PDFは読みづらいので、以下テキストにして載録した。

民主党案は、練れていないのかも知れない。















 PDFは読みづらい。
補遺
2006.9になって「民主党のHPの中に現行法との比較対照した『日本国教育基本法案解説書』があるのに気づいた。8月末に作られたか?
日本国教育基本法案(新法)要綱
         民主党「教育基本法に関する検討会」案
                             二〇〇六年五月十二日
日本国教育基本法案要綱
「前文」
心身ともに健やかな人間の育成は、教育の原点である家庭と、学校、地域、社会の、広義の教育の力によって達成されるものである。
また、日本国民ひいては人類の未来、我が国及び世界の将来は、教育の成果に依存する。
我々が直面する課題は、自由と責任についての正しい認識と、また、人と人、国と国、宗教と宗教、人類と自然との間に、共に生き、互いに生かされるという共生の精神を醸成することである。
我々が目指す教育は、人間の尊厳と平和を重んじ、生命の尊さを知り、真理と正義を愛し、美しいものを美しいと感ずる心を育み、創造性に富んだ、人格の向上発展を目指す人間の育成である。
更に、自立し、自律の精神を持ち、個人や社会に起る不条理な出来事に対して、連帯で取組む豊かな人間性と、公共の精神を大切にする人間の育成である。
同時に、日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求することである。
我々は、教育の使命を以上のように認識し、国政の中心に教育を据え、日本国憲法の精神と新たな理念に基づく教育に日本の明日を託す決意をもって、ここに日本国教育基本法を制定する。
「愛国心」に関する記述は、条文ではなく前文に「日本を愛する心を涵養し」と盛り込む。
「共生」という新しい概念を提示。
「美しいものを美しいと感ずる心を育み」とか、「個人や社会に起る不条理な出来事に対して」とか、意味は解るが条文の中では練れていない言葉がみられる。
民主党内から「愛国心について前文に『日本を愛する心を涵養』とした表記に関して、『強制や評価に利用されないよう明記すべきだ』との指摘や、また『男女がともに学ぶといった一文を明記すべき』といった指摘」がなされているという。
(教育の目的)
第一条
○教育は、人格の向上発展を目指し、日本国憲法の精神に基づく真の主権者として、人間の尊厳を重んじ、民主的で文化的な国家、社会及び家庭の形成者たるに必要な資質を備え、世界の平和と人類の福祉に貢献する心身ともに健やかな人材の育成を期して行われなければならない。

(学ぶ権利の保障)
第二条
○何人も、生涯にわたって、学問の自由と教育の目的の尊重のもとに、健康で文化的な生活を営むための学びを十分に奨励・支援・保障され、その内容を選択・決定する権利を有する。

(適切かつ最善な教育機会・環境の確保・整備)
第三条
○何人も、その発達段階及びそれぞれの状況に応じた、適切かつ最善な教育機会・環境を確保・整備される権利を有する。
○何人も、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
○国及び地方公共団体は、すべての幼児・児童・生徒の発達段階及びそれぞれの状況に応じた、適切かつ最善な教育機会・環境の確保・整備のための施策を策定し、それを実現・実施する責務を有する。
○国及び地方公共団体は、経済的理由によって修学困難な者に対して、十分な奨学の方法を講じなければならない。
しかし、現基本法を廃棄し、なぜこの新法にするのかという一番大事なところが見えてこない。
なにが改善されるのか。現基本法で十分ではないかと思う。
(学校教育)
第四条
○国及び地方公共団体は、すべての国民及び日本に居住する外国人に対し、意欲をもって学校教育を受けられるよう、適切かつ最善な学校教育機会・環境の創出と確保・整備に努めなければならない。
○学校教育は、我が国の歴史と伝統文化を踏まえつつ、国際社会の変動、科学・技術の進展その他の社会経済情勢の変化に的確に対応するよう努めなければならない。
○学校教育においては、学校の自主性及び自律性が十分に発揮されなければならない。

(教員)
第五条
○法律に定める学校は、公の性質を有するものであり、その教員は、全体の奉仕者であって、自己の崇高な使命を自覚し、その職責の十全な遂行に努めなければならない。
○法律に定める学校の教員は、その身分が尊重され、その待遇が適正に保障されなければならない。
○教員の養成と研修の充実が図られなければならない。

(幼児期の教育)
第六条
○幼児期にあるすべての子どもは、その発達段階及びそれぞれの状況に応じて適切かつ最善な教育を受ける権利を有する。
○国及び地方公共団体は、幼児期の子どもに対する無償教育の漸進的な導入に努める。

(普通教育・義務教育)
第七条
○何人も、義務教育を受ける権利を有する。保護者は、その保護する子どもに、別に法律で定める期間、普通教育を受けさせる義務を有する。
○義務教育は、真の主権者として民主的で文化的な国家、社会及び家庭の形成者を育成することを目的とし、基礎的な学力の修得及び体力の向上、心身の調和的発達、道徳心の育成、文化的素養の醸成、国際協調の精神の養成及び自主自立の精神の体得を旨とする。
○国は普通教育の機会を保障し、その最終的な責任を有する。
○国は、普通教育に関し、地方公共団体の行う自主的かつ主体的な施策に配慮し、地方公共団体は、国との適切な役割分担を踏まえつつ、その地域の特性に応じた施策を講ずるものとする。
○国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育に関する授業料については、これを徴収しない。

(高等教育)
第八条
○高等教育は、我が国の学術研究の分野において、その水準の向上及びその多様化を図るとともに、社会の各分野における創造性に富む担い手を育成することを旨として行われるものとする。
○高等教育を行う学校は、社会に開かれたものとなるよう、職業人としての資質の向上に資する社会人の受入れ拡大、地域・産業・文化・社会などの活性化に資する人材の養成を目指す関係者との連携等を積極的に図るものとする。
○高等教育は、無償教育の漸進的な導入及び奨学制度の充実などにより、能力に応じ、すべての者に対して高等教育を利用する機会が与えられるものとする。
第四条

「我が国の歴史と伝統文化を踏まえつつ」は「歴史から学び反省し」の意味を持つのだろうか。
「歴史」には継承すべきものも反省し廃棄すべきものもある。





「教員の養成と研修の充実」が自民政府案と同様に挙げられている。。


(幼児期の教育)に無償教育の漸進的な導入。(基本法になじむ条文か)

このあたりから以下全体に、「基本法」と「下位法律」がごった混ぜの感有り。
(建学の自由・私学の振興)
第九条
○何人も、教育の目的を尊重し、法律の定めるところにより建学の自由を有する。国及び地方公共団体はこれを最大限尊重し、併せ、多様な教育機会の確保・整備の観点から、私学及び私学に在籍する者への支援・助成に努めなければならない。

(家庭における教育)
第十条
○家庭における教育は、教育の原点であり、子どもの基本的な生活習慣、倫理観、自制心、自尊心等の資質の形成に積極的な役割を果たすことを期待される。
○保護者は、子どもの最善の利益のため、その能力及び資力の範囲内で、その養育及び発達についての第一義的な責任を有する。
○国及び地方公共団体は、保護者等に対して、適切な支援を講じなければならない。
○国及び地方公共団体は、健やかな家庭環境を享受できないすべての子どもに対して、適当な養護、保護及び援助を行わなければならない。

(地域における教育)
第十一条
○地域における教育は、地域住民の自発的取り組みが尊重され、多くの人々が、学校・家庭との連携の下、その担い手になることが期待され、そのことを奨励されるものとする。

(生涯学習・社会教育)
第十二条
○国及び地方公共団体は、国民が生涯を通じて、あらゆる機会、あらゆる場所において、多様な学習機会を享受できるよう、社会教育の充実に努めなければならない。
○国及び地方公共団体が行う社会教育の充実は、図書館、博物館、公民館などの施設と機能の整備等その他適当な方法によって、図られるものとする。

(特別な状況に応じた教育)
第十三条
○知的、精神的または身体的な障がいを有する子どもは、その尊厳が確保され、自立や社会参加が促進され、適切な生活を享受するため、特別の養護及び教育を受ける権利を有する。国及び地方公共団体は、障がい、発達状況、就学状況など、それぞれの子どもの状況に応じて、適切かつ最善な支援及び援助を行わなければならない。

(職業教育)
第十四条
○何人も、学校教育と社会教育を通じて、勤労の尊さを学び、職業に対する素養と能力を修得するための職業教育を受ける権利を有する。国及び地方公共団体は、職業教育の振興に努めなければならない。

(政治教育)
第十五条
○国政及び地方自治に参画する良識ある真の主権者としての自覚と態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。
○法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

(生命・宗教に関する教育)
第十六条
○生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。
○宗教的な伝統や文化に関する基本的知識の修得及び宗教の意義の理解は、教育上重視されなければならない。
○宗教的感性の涵養及び宗教に関する寛容の態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。
○国、地方公共団体及びそれらが設置する学校は、特定の宗教教義に基づく宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

(情報文化社会に関する教育)
第十七条
○すべての児童・生徒が、仮想情報空間におけるコミュニケーションの可能性、限界及び問題について、的確に理解し、適切な人間関係を構築する態度と素養を修得するよう奨励される。
○すべての児童・生徒が、文化的素養を醸成し、他者との対話・交流・協働を促進する基礎となる国語力を身につけるための適切かつ最善な教育機会を得られるよう奨励される。
○すべての児童・生徒が、その健やかな成長に有害な情報から保護されることを期待される。
以下、(家庭における教育)(地域における教育)(生涯学習・社会教育)等、細かな規定を作っている。














































(生命・宗教に関する教育)
信教の自由はどう保証されるのかはっきりしない。
2項目、具体的に何を「重視」するのか。
「宗教的感性の涵養」を強制するのか。
(教育行政)
第十八条
○教育行政は、民主的な運営を旨として行われなければならない。
○地方公共団体が行う教育行政は、その施策に民意を反映させるものとし、その長が行わなければならない。
○地方公共団体は、教育行政の向上に資するよう、教育行政に関する民主的な組織を整備するものとする。
○地方公共団体が設置する学校は、保護者、地域住民、教育専門家、学校関係者などが参画する学校理事会を設置し、主体的・自律的運営を行うものとする。
○法律で定める学校は、それぞれが行う教育活動に関し、児童・生徒・学生の個人情報の保護に留意しつつ、必要な情報を本人及び保護者など関係者に提供し、かつ、多角的観点から点検・評価に努めなければならない。
○国及び地方公共団体は、学校が行う情報提供・点検・評価等の円滑な実施を支援しなければならない。

(教育振興に関する計画)
第十九条
○政府は、国会の承認を得て、教育の振興に関する基本的な計画を定める。政府は、わが国の国内総生産に対する公教育財政支出の比率を指標として、公教育費の確保・充実の目標を計画に盛り込むこととする。その計画及び実績は、国会を通じて国民に報告するものとする。
○地方公共団体は、議会の承認を得て、地域の教育の振興に関する具体的な計画を定める。地方公共団体は、公教育費の確保・充実の目標を計画に盛り込むこととする。その計画及び実績は、議会を通じて地域の住民に報告するものとする。

(教育財政)
第二十条
○ 国及び地方公共団体は、前条に定める計画の実施に必要な十分な予算を安定的に確保しなければならない。

(法令の制定)
第二十一条
○この法律に規定する諸条項を実施するため、必要な法令が制定されなければならない。

附則
(施行期日)
○この法律は、公布の日から施行するものとする。
○教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)は、廃止する。


(教育行政)
現行法は、教育行政は、「国民全体に対し直接に責任を負う」「この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標」としている。
この「精神・目標=国及び地方公共団体なすべき」ことが消されている。

教育委員会が廃止される?
国の介入に限定がつけられている?

2項目の意味は?
「教育行政に関する民主的な組織」とか「保護者、地域住民、教育専門家、学校関係者などが参画する学校理事会」って何?

(教育振興に関する計画)を新設することは自民・政府案と同じ危険性を持つ。
次に、(教育財政)の条を設けているのだから、第十九条は不要なのになぜあるのか。


2 リンク
愛知の教育を考えるブログ 教育基本法改定の動きを追っているブログ

教育基本法→フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
                  
3 【参考】成立時の各社社説
改正教育基本法が成立 「公共の精神」強調  [ 2006/12月15日 17時59分 ]   共同通信  
 安倍内閣が最重要法案と位置付けていた改正教育基本法が15日夕の参院本会議で、自民、公明の与党の賛成多数で可決、成立した。「教育の憲法」と呼ばれる教基法の改正は1947年の制定以来初めて。抜本的な見直しにより「公共の精神」の重要性を強調、教育の目標に「我が国と郷土を愛する態度を養う」ことなどを掲げた。
 採決に先立ち、改正内容に反対する民主党やほかの野党は、衆院へ安倍内閣不信任決議案、参院へ伊吹文明文部科学相の問責決議案をそれぞれ提出したが、与党の反対多数でいずれも否決された。
 改正教基法は18条からなり、前文では「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する」と明記。新たに「生涯学習の理念」「家庭教育」などの条項を盛り込んだほか、政府は教育振興基本計画を定め、国会に報告、公表すると規定した。
共同通信

【参考】2006年12月16日(土曜日)付 社説の内「教基法」と「防衛省法」に関してのもの10社を転載しておく。
朝日新聞・教育と防衛 「戦後」がまた変わった
読売新聞・[教育基本法改正]「さらなる国民論議の契機に」
毎日新聞・新教育基本法 これで「幕」にしてはいけない
日経新聞・改正教育基本法をどう受け止めるか
東京新聞・行く先は未来か過去か 教育基本法59年ぶり改定 (15日に「防衛省昇格 この先にあるものは」)
北海道新聞・改正教育基本法が成立
産経新聞・【主張】教育基本法改正 「脱戦後」へ大きな一歩だ
中国新聞・改正教育基本法 政治の現場介入避けよ
西日本新聞・軍拡につなげてはならぬ 防衛省昇格
沖縄タイムス・[改正教基法成立]政治に翻弄されるな(15日も[教育基本法改正]「論議なお足りず禍根残す」)

朝日新聞社説
教育と防衛 「戦後」がまた変わった
 改正教育基本法と、防衛庁を「省」に昇格させる改正防衛庁設置法が、同じ日に成立した。
 長く続いてきた戦後の体制が変わる。日本はこの先、どこへ行くのだろうか。
 安倍首相は著書「美しい国へ」で、戦後の日本が先の戦争の原因をひたすら国家主義に求めた結果、国家すなわち悪との見方が広まった、と指摘する。
 そして、国家的な見地からの発想を嫌うことを「戦後教育の蹉(さ)跌(てつ)のひとつである」と書いている。
 そのつまずきを正し、国家という見地から教育を見直したい。安倍首相には、そんな思いがあったのだろう。
 教育基本法の改正で焦点となったのは「愛国心」である。改正法には「(伝統と文化を)はぐくんできた我が国と郷土を愛する」という文言が盛り込まれた。公明党は当初、「国を大切にする」を提案したが、官房長官だった安倍氏は「国は鉛筆や消しゴム並みではない」と述べて、「愛する」にこだわった。
 教育の独立を規定した条項も改正の対象になった。
 いまの教育基本法は、戦前の教育が「忠君愛国」でゆがめられ、子どもたちを戦場へと駆り立てたことを反省し、国民の決意を表す法律としてつくられた。「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われる」と定めている。国の政治的な介入に対しても歯止めをかけた。
 その文言の後段が「法律の定めるところにより行われる」と改められた。現行法とはちがって、国の教育行政に従え、ということになりかねない。
 安倍首相は、防衛のあり方についても「美しい国へ」で異を唱えている。
 安全保障を他国にまかせ、経済を優先させて豊かになった。「だが精神的には失ったものも大きかったのではないか」と述べている。
 日本は戦後、再び持った武力組織を軍隊にはせず、自衛隊とした。組織も内閣府の外局に置いた。自衛隊や防衛庁の抑制的なありようは、軍事に重きを置かない国をつくろうという国民の思いの反映であり、共感を得てきた。
 省に昇格したからといって、すぐに自衛隊が軍になり、専守防衛の原則が変わるわけではない。それでも、日本が次第に軍事を優先する国に変わっていくのではないか。そこに愛国心教育が加わると、その流れを加速するのではないか。そんな心配がぬぐえない。
 二つの法律改正をめぐっては、国民の賛否も大きく分かれていた。その重さにふさわしい審議もないまま、法の成立を急いだことが残念でならない。
 戦後60年近く、一字も変えられることのなかった教育基本法の改正に踏み切った安倍首相の視線の先には、憲法の改正がある。
 この臨時国会が、戦後日本が変わる転換点だった。後悔とともに、そう振り返ることにならなければいいのだが。 (朝日新聞)


読売新聞社説
 [教育基本法改正]「さらなる国民論議の契機に」
 教育基本法が一新された。1947年(昭和22年)の制定から60年、初めての改正だ。
 「教育の憲法」の生まれ変わりは新しい日本の教育の幕開けを意味する。この歴史的転換点を、国民全体で教育のあり方を考えるきっかけとしたい。
 見直しの必要性を説く声は制定の直後からあった。そのたびに左派勢力の「教育勅語、軍国主義の復活だ」といった中傷にさらされ、議論すらタブー視される不幸な時代が長く続いた。
 流れを変えた要因の一つは、近年の教育の荒廃だった。いじめや校内暴力で学校が荒れ、子どもたちが学ぶ意欲を失いかけている。地域や家庭の教育力も低下している。
 現行基本法が個人・個性重視に偏りすぎているため、「公共の精神」や「規律」「道徳心」が軽視されて自己中心的な考え方が広まったのではないか。新たに家庭教育や幼児期教育、生涯教育などについて時代に合った理念を条文に盛り込む必要があるのではないか。そうした指摘が説得力を持つようになってきた。
 改正論議に道筋をつけたのは2000年末、首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が出した報告書だった。基本法見直しが初めて、正式に提言された。
 これを受け、中央教育審議会が「新しい時代にふさわしい」基本法の在り方などを答申。与党内でも改正に向けた検討が本格化し、ようやく今年4月、政府の全面的な改正案が国会に提出された。
 ◆6年にわたる改正論議
 この6年、基本法改正については様々な角度から検討され、十分な論議が続けられてきたと言っていいだろう。
 その中には「愛国心」をめぐる、不毛な論争もあった。
 条文に愛国心を盛り込むことに、左派勢力は「愛国心の強制につながり、戦争をする国を支える日本人をつくる」などと反対してきた。
 平和国家を築き上げた今の日本で、自分たちが住む国を愛し、大切に思う気持ちが、どうして他国と戦争するというゆがんだ発想になるのだろう。
 基本法の改正を「改悪」と罵(ののし)り、阻止するための道具に使ったにすぎない。
 この問題は、民主党が独自の日本国教育基本法案の前文に「日本を愛する心を涵養(かんよう)し」と明記したことで決着した感がある。政府法案は「教育の目標」の条文中に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する…態度を養う」と入れた。むしろ民主党案の方が直接的で素直な表現だった。
 ともあれ、改正基本法の成立を歓迎したい。その精神にのっとって、日本の歴史や伝統、文化を尊重し、国を愛する心を育てるような教育が行われることが期待される。さらに家庭、地域での教育も充実されて、次代を担う子どもや若者たちが、日本人として誇りを持って育っていってほしい。
 ◆関連する課題は多い
 そのために文部科学省など政府が取り組むべき課題は山積している。
 まずは学習指導要領や学校教育法など関係法規の見直しである。
 指導要領は、改正基本法に愛国心や伝統・文化の尊重、公共の精神などが盛られたことで、社会科や道徳の指導内容が変わってくる可能性がある。愛国心などの諸価値は、どれも国民として大切なものだ。子どもたちの白紙の心に、正しくしっかりと教えてもらいたい。
 「学力低下」の懸念から、授業時間数や教える内容を増やす必要性も叫ばれている。高校の「必修逃れ」問題では、指導要領の必修科目の設定が今のままで良いのか、といった議論も起きている。
 小学校の英語「必修化」論議など暫時“保留”になっていた指導要領絡みの施策の検討が一斉に動き出すだろう。
 学校制度の基準を定めた学校教育法の改正、教育委員会について定めた地方教育行政組織運営法、教員の免許法などの見直しも必要だ。安倍首相直属の「教育再生会議」でも検討している。
 もう一つの課題は、国と地方が役割分担を明確にし、計画的に教育施策を進めていくための「教育振興基本計画」の策定である。
 ◆国と地方の役割示せ
 「全国学力テストを実施し、指導要領改善を図る」「いじめ、校内暴力の『5年間で半減』を目指す」「司法教育を充実させ、子どもを自由で公正な社会の責任ある形成者に育てる」――計画に盛り込む政策目標案を、中教審もすでに、いくつか具体的に例示している。
 国が大枠の方針を示すことは公教育の底上げの意味でも必要だ。同時に、学校や地域の創意工夫の芽が摘まれることのないよう、現場の裁量の範囲を広げる施策も充実させてほしい。
 焦る必要はないだろう。教育は「国家百年の計」である。国民の教育への関心もかつてないほどに高い。教育再生会議などの提言も聞きながら、じっくりと新しい日本の教育の将来像を練り上げてもらいたい。(読売新聞)


毎日新聞社説
新教育基本法 これで「幕」にしてはいけない
 教育基本法改正案が成立した。なぜ今改正が必要なのか。私たちは問いかけてきたが、ついに明確にされないまま国会は幕切れとなった。「占領期の押しつけ法を変える」ことが最大の動機とみるべきなのか。そうだとすれば「教育」が政治利用されたことになる。
 だが法として成立する以上、全国の教育現場はこれと向き合う。まず公共心や国の権能を重視する改正法の特徴の一つは「教育の目標」だ。5項に整理して徳目を列記し「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度」を盛り込む。子の教育は保護者に第一義的責任があると明記し、生涯学習や幼児期の教育の必要性も説く。そして全体的な教育振興基本計画を国が定め、地方公共団体はこれを見ながら施策計画を定めるという。
 個別の徳目や親の責任などは自然な理想や考え方といえるだろう。ただ、列記しなくても、これらは現行法下の教育現場でも否定されてはいない。授業や生活を通じて学び取っていることではないか。網羅しなくても、生涯学習や幼児教育などの分野は社会に定着しており、是正が必要なら基本法をまたず個別にできるはずだ。
 列記されることで、これらの考え方が押しつけられたり、画一的な形や結果を求める空気が広がりはしないか。振興基本計画に忠実である度合いを各地方が競い合うことになりはしないか−−。
 こうした疑問や懸念を学校など教育現場は持つが、国会審議ではこれに答えていない。はっきりさせておかなければならないのは、改正法は決して国にフリーハンドを与える全権付与法ではなく、これで教育内容への介入が無制限に許されるものではないことだ。改正法第16条の「法律の定めるところにより行われる」の記述によって「国が法に沿って行えば、禁じられた『不当な支配』にはならない」と政府見解はいう。
 だが教育権などについて争った旭川学力テスト事件最高裁判決(1976年)は、国の介入を認めつつも「必要かつ相当な範囲」とし、また「不当な支配」とは「国民の信託に応えない、ゆがめる行為」との考え方を示した。恣意(しい)的介入を戒めたもので、国は抑制的な姿勢を常に忘れてはならない。
 国会審議に並行して、いじめ、大量履修不足、タウンミーティングのやらせ発言工作など、事件と呼ぶべき問題や不祥事が相次いだ。新時代にふさわしい基本法をといいながら、内閣、文部科学省、教育委員会など行政当局は的確な対処ができず、後手に回って不信を広げた。法改正を説きながら、その実は現行の教育行政組織や諸制度がきちんと運用しきれていないという有り様を露呈したのだ。
 次の国会で基本法に連動する学校教育法など関連法規の改正審議が始まる。日常の教育現場に直接かかわってくるのはこれだ。注意をそらしてはいけない。基本法改正審議の中であいまいだった諸問題や疑念をただす機会だ。
 「一件落着」では決してない。(毎日新聞)

日経新聞社説
社説1 改正教育基本法をどう受け止めるか(12/16)
 占領下の1947年に制定されて以来、一度も手が加えられてこなかった教育基本法の全面改正案が参院で可決され、成立した。6年前に教育改革国民会議が同法の見直しを提言して以来、「愛国心」の表現などをめぐり延々と議論が繰り返されてきた末の「新法」誕生である。
 改正で何がどう変わるのか。教基法はあくまで理念をうたった法律であり、いじめ問題などに揺れる学校の姿がすぐに変わるわけではない。しかし教育行政に対する国の関与を重視した項目が散見されることには改めて注意を払いたい。解釈や運用、関連法の改正次第では現場にじわじわと影響を及ぼす問題である。
 たとえば、「国は(中略)教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない」という条文がある。また「教育は、不当な支配に服することなく」という現行法の条文に続けて「この法律及び他の法律に定めるところにより行われるべきもの」との一文も加えている。
 子どもたちの学力と規範意識を保障するための大きな方向性を国が示すことは必要だろう。しかし文部科学省がいたずらに条文を拡大解釈し権限強化を図るとすれば、かねて弊害が指摘されてきた中央集権的な教育行政が強化され、地域や学校の創意工夫と競い合いを促そうという分権の流れに逆行することになる。
 この懸念は「教育振興基本計画」の策定を政府に義務付けたことにも共通する。同省は事細かな目標を設けて現場を拘束しないよう意識すべきである。計画には、むしろ制度の弾力化や規制緩和を図る方策を盛り込むこともできるのではないか。
 改正法は地方自治体がその実情に応じた教育行政を展開するよう明記し、国と地方の「適切な役割分担」にも触れている。そうした条文があることも忘れてはならない。
 バランスのとれた対応が必要なのは、「我が国と郷土を愛する態度を養う」などの解釈も同様である。学校現場に機械的に当てはめるのではなく、子どもたちの実情に即した柔軟な運用に努めてもらいたい。
 長期間の国会審議を通じて残念だったのは、与野党の歩み寄りが全くみられなかったことである。民主党は分権にも配慮した対案を持ちながら与党との対決に終始してしまった。本来なら、共同修正を図る局面もあったのではないだろうか。
 教育に対する国民の要請はきわめて多様で、時代とともに変化し続けている。およそ60年ぶりという歴史的改正ではあるが、そんな実情を踏まえた対応を望みたい。

社説2 「防衛省」の中身が重要だ(12/16)
 防衛庁が来年1月に防衛省に昇格する。政府の組織図を見れば当然に見える。国務大臣が長を務める庁はほかにはない。例えば警察庁が示すように、庁は一種の組織管理機構であり、防衛「庁」の実態も「自衛隊管理庁」に近かった。
 新しい革袋に入るべき新しい酒は、政策能力と国際感覚である。単なる自衛隊管理の機能から脱皮し、国際感覚を基礎とする安全保障政策の立案機能の強化が求められる。省昇格に伴って自衛隊の国際協力活動が本来任務とされる点も重要である。文官からなる内部部局はもとより制服組にも国際感覚が要る。
 北岡伸一前国連大使によれば、日本の国連平和維持活動(PKO)の現時点での参加人員は国連基準でゴラン高原の30人であり、世界で80位という。世界の名の通った国のなかで最低である。東ティモールに文民警察官が派遣されれば、数字は変わるし、30人という実態は必ずしも防衛庁だけの責任でもない。
 しかし内局、制服組を含め防衛庁の主流にいる人々のなかに国際感覚のあるひとが少ないのも事実である。最大勢力である陸上自衛隊でこの傾向が最も強い。内局も彼らの意向を軽視できず、同じ傾向に陥る。省昇格を機会に体質改善を要する。
 省になる防衛庁に心配がないわけではない。自信過剰傾向である。
 失言が相次ぐ久間章生長官にもそれが当てはまる。久間氏は国会でイラク戦争への政府の対応について「政府として支持すると公式に言ったわけではない。コメントとして首相がマスコミに対して言ったということは聞いている」と答弁した。
 翌日になって「政府として閣議で談話も決めている。そういう意味では公式な見解で、私の認識不足だった」と撤回した。問題の本質は閣議決定を知らなかった点ではない。小泉純一郎首相が記者会見して発表した事実を知りながら、それを公式見解ではない、と考えた点である。
 内外に向けた記者会見の発言が公式見解でなければ何が公式なのか。政治家の言葉はそれほど軽いのか。事務次官の在任期間が4年目に入り、省昇格後も続くとされる点も、他省では最近は例がない。人材の層がそれほど薄いのだろうか。 (日経新聞)


東京新聞社説(15日)
防衛省昇格 この先にあるものは
 防衛庁を「省」に昇格させる法案がきょう成立する見通しだ。単なる看板の掛け替えとは違う。「専守防衛」という自衛隊の性格そのものが変わる可能性がある。その先にあるものは。
 防衛庁は一九五四年の発足以来、ずっと「省」ではなく「庁」だった。軍事より経済に重きを置いてきた戦後日本の姿勢を象徴してきたともいえる。政府は省になっても実質的な違いはないと説明するが、本当にそうだろうか。
 省昇格と同時に、自衛隊の海外活動が「付随的任務」から「本来任務」に格上げされる。これを弾みに、安倍政権は海外派遣を随時可能にする「恒久法」の制定や、憲法で禁じられた集団的自衛権行使の研究を加速させるとの見方が強い。
 安倍晋三首相は恒久法の制定に積極的な姿勢を示してきた。自民党の防衛政策検討小委員会はすでに、国連決議や国際機関の要請がない場合でも自衛隊の派遣を可能にする法案の骨格をまとめている。
 自衛隊のイラク派遣などは特別措置法で実施されてきた。随時可能にするのなら、まず、どんな場合に限って派遣するのか十分な吟味が必要だ。しかし、自民党案は国会の事前承認さえあれば、いつでもどこでも出せるものだ。歯止めがない。
 恒久法の制定に合わせ、自分自身や管理下にある国際機関職員らを守ることに限定して認められている自衛隊員の武器使用の基準を緩和する動きもある。外国部隊を助けるために武器を使用することを認めれば、海外での武力行使を禁じた憲法九条との整合性が問われる。
 首相は政府解釈で憲法上、禁じられた集団的自衛権の行使について、具体例を研究する考えを表明している。米国に向けたミサイルの迎撃や、外国部隊の救出などを認めようとしているようだ。
 少しでも解禁すれば、自衛隊と米軍との一体化がなし崩し的に進み、自衛隊が戦闘に巻き込まれる可能性が増す。憲法九条は空文化しかねない。改憲の先取りだ。
 懸念が現実になる準備も進んでいる。海外活動の「本来任務」化は二年前、防衛大綱に明記された。海外派遣の司令塔となる陸上自衛隊・中央即応集団の新設や、その司令部が米統合作戦司令部と同じキャンプ座間(神奈川県)に併設されることがすでに決まっている。
 防衛「省」昇格と併せて、参院本会議で「国を愛する態度」などを教育目標に盛り込んだ教育基本法改正案も成立する見通しだ。安倍政権の地金が見えてきた。(東京新聞)


東京新聞社説
行く先は未来か過去か
教育基本法59年ぶり改定
 教育基本法が五十九年ぶりに改定された。教育は人づくり国づくりの基礎。新しい時代にふさわしい法にとされるが、確かに未来に向かっているのか、懸念がある。
 安倍晋三首相が「美しい国」実現のためには教育がすべてとするように、戦後日本の復興を担ってきたのは憲法と教育基本法だった。
 「民主的で文化的な国家建設」と「世界の平和と人類の福祉に貢献」を決意した憲法。
 その憲法の理想の実現は「根本において教育の力にまつべきものである」とし、教育基本法の前文は「個人の尊厳を重んじ」「真理と平和を希求する人間の育成」「個性ゆたかな文化の創造をめざす」教育の普及徹底を宣言していた。
■普遍原理からの再興
 先進国中に教育基本法をもつ国はほとんどなく、法律に理念や価値を語らせるのも異例だが、何より教育勅語の存在が基本法を発案させた。
 明治天皇の勅語は皇民の道徳と教育を支配した絶対的原理。日本再生には、その影響力を断ち切らなければならなかったし、敗戦による国民の精神空白を埋める必要もあった。
 基本法に込められた「個人の尊厳」「真理と正義への愛」「自主的精神」には、亡国に至った狭隘(きょうあい)な国家主義、軍国主義への深甚な反省がある。より高次の人類普遍の原理からの祖国復興と教育だった。
 一部に伝えられる「占領軍による押しつけ」論は誤解とするのが大勢の意見だ。のちに中央教育審議会に引き継がれていく教育刷新委員会に集まった反共自由主義の学者や政治家の熟慮の結実が教育基本法だった。
 いかなる反動の時代が来ようとも基本法の精神が書き換えられることはあるまいとの自負もあったようだ。しかし、改正教育基本法は成立した。何が、どう変わったのか。教育行政をめぐっての条文改正と価値転換に意味が集約されている。
■転換された戦後精神
 教育が国に奉仕する国民づくりの手段にされてきた戦前の苦い歴史がある。国、行政の教育内容への介入抑制が教育基本法の核心といえ、一〇条一項で「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」となっていた。
 国旗・国歌をめぐる訴訟で、東京地裁が九月、都教育委員会の通達を違法とし、教職員の処分を取り消したのも、基本法一〇条が大きな根拠だった。各学校の裁量の余地がないほど具体的で詳細な通達を「一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制する『不当な支配』」としたのだった。不当な支配をする対象は国や行政が想定されてきた。
 これまでの基本法を象徴してきた「不当な支配」の条文は、改正教育基本法では一六条に移され「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と改められた。
 政令や学習指導要領、通達も法律の一部。国や行政が不当な支配の対象から外され、教育内容に介入することに正当性を得ることになる。この歴史的転換に深刻さがある。
 前文と十八条からの改正教育基本法は、新しい基本法といえる内容をもつ。教育基本法の改定とともに安倍首相が政権の最重要課題としているのが憲法改正だが、「新しい」憲法と「新しい」教育基本法に貫かれているのは権力拘束規範から国民の行動拘束規範への価値転換だ。
 自民党の新憲法草案にうかがえた国民の行動規範は、改定教育基本法に「公共の精神」「伝統と文化の尊重」など二十項目以上の達成すべき徳目として列挙されている。
 権力が腐敗し暴走するのは、歴史と人間性研究からの真理だ。その教訓から憲法と憲法規範を盛り込んだ教育基本法によって権力を縛り、個人の自由と権利を保障しようとした立憲主義の知恵と戦後の基本精神は大きく変えられることになる。
 公共の精神や愛国心は大切だし、自然に身につけていくことこそ望ましい。国、行政によって強制されれば、教育勅語の世界へ逆行しかねない。内面への介入は憲法の保障する思想・良心の自由を侵しかねない。新しい憲法や改正教育基本法はそんな危険性を内在させている。
■悔いを残さぬために
 今回の教育基本法改定に現場からの切実な声があったわけでも、具体的問題解決のために緊急性があったわけでもない。むしろ公立小中学校長の三分の二が改定に反対したように、教育現場の賛同なき政治主導の改正だった。
 現場の教職員の協力と実践、献身と情熱なしに愛国心や公共の精神が習得できるとは思えない。国や行政がこれまで以上に現場を尊重し、その声に耳を傾ける必要がある。
 安倍首相のいう「二十一世紀を切り開く国民を育成する教育にふさわしい基本法」は、同時に復古的で過去に向かう危険性をもつ。改定を悔いを残す思い出としないために、時代と教育に関心をもち続けたい。(東京新聞)


北海道新聞社説
改正教育基本法が成立*改正教育基本法が成立(12月16日)
 憲法とともに戦後日本の民主主義を支えた教育基本法が改正された。
 改正法は「わが国と郷土を愛する態度」などを条文に盛り込んだ。戦後教育の枠組みと理念を根底から変える内容だ。
 新しい法律の下で、教育はどう変わるだろう。
 「国を愛せ」と教師が子供たちに強く求める場面が起きないか。そんな授業を受ける子供たちの態度が「評価」につながらないか。教育現場の創意工夫はどこまで生かされるだろう。
 こうした点の審議が必ずしも十分だったとは思えない。改正に国民の合意ができていたともいえない。
 数の力を背景に、今国会で改正法の成立を図った政府・与党のやり方は強引だった。
 安倍首相は、占領時代に制定された教育基本法と憲法の改正は、「自民党結党以来の悲願」だとしていた。
 それほど重要なら、国民への丁寧な説明と合意形成の真摯(しんし)な努力を重ねる必要があったはずだ。
 次の課題は憲法改正ということになるのか。国の基本にかかわる問題で、「数の力」に頼る姿勢は、許されるものではない。
*「国家」重視に軸足を移す
 教育基本法は一九四七年、戦前の国家中心教育への深い反省を踏まえて制定された。
 前文で「個人の尊厳」を基本とする教育理念を掲げ、憲法の理念の実現を「教育の力」に託した。
 これに対し、改正法は「わが国と郷土を愛する態度」や「公共の精神」などの徳目を「教育目標」に掲げた。
 教育理念の軸足を「個人」から「国家社会」の重視に移した。
 しかし、そもそも法で、内心にかかわる「教育目標」を定めることは、憲法が保障する「思想と良心の自由」にそぐわないのではないか。
 中国や旧ソ連のような社会主義国を除けば、多くの先進国では「国を愛する態度」のような内心の問題まで国法では定めていない。
 教育目標に徳目を並べ、評価までするという日本の教育は、異質と見られるのではないか。
 「わが国や郷土を愛する態度」を自然にはぐくむことは、国民として大切なことだろう。
 「公共の精神」を身につけることも、社会生活を営むうえで欠かせない。
 それを法律に書き込み、子どもが学ぶ態度まで評価するとなると話は別だ。国による管理や統制が過度に強まる懸念がぬぐえない。*法の名の下で行政介入も
 改正法で見逃せないのは、教育行政のあり方に関する条文の変更だ。
 改正前の基本法一○条は、教育は「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負う」と定めている。
 戦前の国家統制への反省を踏まえ、行政の教育への介入を防ぐ役割を果たしてきた。
 改正法は、「国民全体に対し直接に責任を負う」という文言を削除し、新たに「法律の定めるところ」によって教育を行うと定めた。
 現場の教師はこれまで、「国民全体に直接に責任を負う」という条文があったからこそ、父母や子どもたちとともに、創意工夫のある教育活動を試みることができた。
 しかし、法改正によって、時の政府が法律や指導要領を決め、それに基づいて教育内容が厳密に規定されれば、教員は行政の一員としての役割を強いられる。
 教育法学者からは、政治や官僚の不当な圧力からの独立と自由を目指した当初の立法の趣旨が、法改正で逆転したという見方が出ている。
 文科省は教員評価制度の導入を一部の学校で始めている。制度の運用によっては、教師の仕事が国の決めた教育目標をどこまで実現したかという観点から評価されかねない。
 こうした問題をはらんでいたからこそ国民の間に懸念の声は強かった。
 東大が十月にまとめた全国アンケートでは、公立小中学校の管理職の三人に二人が「現場の混乱」を理由に改正に反対していた。
 ところが安倍首相は国会で「国民的合意は得られた」と繰り返した。
 政府のタウンミーティングでは、姑息(こそく)な世論誘導も明らかになった。
*施策の吟味が欠かせない
 「教育基本法は個人の価値を重視しすぎている。戦後教育は道徳や公共心が軽視され、教育の荒廃を招いた」
 自民党内の改正論者は、このように基本法を批判してきた。
 教育現場は、子どもの学力低下やいじめなど多くの課題を抱えている。しかし、教育荒廃の原因は基本法に問題があったからではない。
 むしろ、文科省や教育委員会が、基本法の理念を軽視し、実現に向けた努力を怠ってきたのが現実ではないか。
 文科省は今後、改正法に基づき具体的な教育政策を網羅した「教育振興基本計画」を策定する。
 教育改革の名のもとに打ち出される施策の中身を、学校現場と父母は十分に吟味し、子どもの成長に役立つ施策かどうかを見極める必要がある。
 改正法の下での教育現場の変化を、注意深く見守らねばなるまい。(北海道新聞)


産経新聞
【主張】教育基本法改正 「脱戦後」へ大きな一歩だ
 教育基本法改正案が参院本会議で可決、成立した。現行の教育基本法が占領下の昭和22年3月に制定されて以来、約60年ぶりの改正である。安倍内閣が掲げる「戦後体制からの脱却」への大きな一歩と受け止めたい。
 改正法には、現行法にない新しい理念が盛り込まれている。特に、「我が国と郷土を愛する態度」「伝統と文化の尊重」「公共の精神」「豊かな情操と道徳心」などは、戦後教育で軽視されがちだった教育理念である。
 一部のマスコミや野党は愛国心が押しつけられはしないかと心配するが、愛国心というものは、押しつけられて身につくものではない。日本の歴史を学び、伝統文化に接することにより、自然に養われるのである。
 学習指導要領にも「歴史に対する愛情」や「国を愛する心情」がうたわれている。子供たちが日本に生まれたことを誇りに思い、外国の歴史と文化にも理解を示すような豊かな心を培う教育が、ますます必要になる。形骸(けいがい)化が指摘されている道徳の時間も、本来の規範意識をはぐくむ徳育の授業として充実させるべきだろう。
 家庭教育と幼児教育の規定が新設されたことの意義も大きい。近年、親による児童虐待や子が親を殺すという痛ましい事件が相次いでいる。いじめや学級崩壊なども、家庭のしつけが不十分なことに起因するケースが多い。親は、子供にとって人生で最初の教師であることを忘れるべきではない。
 教育行政について「不当な支配に服することなく」との文言は残ったが、教職員らに法を守ることを求める規定が追加された。国旗国歌法や指導要領などを無視した一部の過激な教師らによる違法行為が許されないことは、改めて言うまでもない。
 同法改正では、民主党も対案を出していた。政府案と共通点が多かったが、与党との修正協議に応じず、改正そのものに反対する共産、社民党と歩調を合わせたのは、残念である。
 安倍晋三首相は、日本人が自信と誇りをもてる「美しい国」を目指している。国づくりの基本は教育である。政府の教育再生会議で、新しい教育基本法の理念を踏まえ、戦後教育の歪(ゆが)みを正し、健全な国家意識をはぐくむための思い切った改革を期待する。(産経新聞)


中国新聞社説
改正教育基本法 政治の現場介入避けよ
 憲法に準じるほどの重みを持つ法律の改正が、数の力で押し切られた。参院本会議できのう、改正教育基本法が自民、公明の与党の賛成で可決、成立した。
 教基法の改正は一九四七年の制定以来初めてである。戦後社会に定着してきただけに、審議を尽くし合意へ努力を重ねるべきだった。それが衆院で野党欠席のまま採決したのに続いての強引な手法である。子どもたちの未来に責任は持てるのだろうか。
 改正教基法は「公共の精神」を前面に打ち出し、教育の目標に「我が国と郷土を愛する態度を養う」と明示した。国の関与を強める表現も盛り込まれた。能力対応の教育、家庭の責任、教員の養成と研修の充実も並ぶ。心の中まで踏み込み、運用次第では圧力が家庭にまで及ぶ可能性さえある。
 これで教育現場はどうなるか。学校のランク付けが進み、家庭は子育て状況をチェックされ、教員は「教師塾」へ通わざるを得なくなる…。そんな背筋が寒くなるような未来像が描かれるほどだ。
 教育再生に必要なのは、管理強化と競争原理の導入で、現場のストレスをさらに高めることではない。子どもたちの自立心を育てることだ。改正教基法により政府がつくる教育振興基本計画の成立過程を監視しなければならない。国の思惑を地域と自治体ではね返す力を蓄える方法を考えたい。
 改正へ向けた実質審議は十月末から始まった。これに合わせるかのように、いじめに絡む子どもや先生の自殺が相次ぎ、高校で必修科目の履修漏れが明るみに出た。教育改革タウンミーティングの「やらせ」質問まで発覚した。荒廃は政府から教育現場まで及んでいることが目の当たりになった。
 対応策をめぐり審議は多くの時間をかけた。だが解決する道が教基法改正にどうつながるかは見えなかった。改正の必要性についても十分な説明はないままだ。
 臨時国会が会期末を迎え、きのうは与野党が激しい攻防を繰り広げた。選挙対策と絡めた野党の戦術を自民首脳が「邪道」と批判する場面もあった。対立の構図からは、教基法が政争の具におとしめられた姿が浮き彫りになった。
 教基法に合わせて「防衛省」昇格関連法も成立した。「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げる安倍晋三首相は、次は憲法改正へ向けて走りそうな勢いである。同じような事態を繰り返してはならない。(中国新聞)


西日本新聞社説
軍拡につなげてはならぬ 防衛省昇格
 「防衛省」が来年1月に発足する。
 防衛庁を内閣府の外局から独立させ、省に格上げする関連法が成立した。
 「防衛相」は他の閣僚と同格の権限を得る。2007年度には防衛施設庁を統合し、名実ともに外国の国防機関に引けを取らない組織となる。
 省になれば、内閣府を通していた国防関連法案の閣議提案や財務省への予算要求を、防衛相が直接できるようになる。
 もちろん自衛隊の最高責任者が首相であることはこれまで通りだ。政府は「省になっても、自衛隊の活動内容や規模は実質的には変わらない」と説明する。
 外国への見栄えや、自衛隊員の士気向上といった効果はあろうが、今すぐ昇格が必要という理由にはならない。
 1954年の防衛庁発足以来、省昇格を求める声は根強くあった。あえて「庁」にとどまっていたのは、太平洋戦争の経験と反省から、国民が軍事に厳しい目を向けてきたからだ。
 悲惨な戦争は繰り返さないという国民の総意が、自衛隊を「普通の軍隊」にしない安全弁として機能してきたのだ。専守防衛に徹し、侵略戦争はしないというアジア諸国へのメッセージでもあった。
 しかし、東西冷戦終結後、自衛隊に求められる役割も変わってきた。
 大規模災害救援活動や国連平和維持活動(PKO)で海外に派遣される機会が増え、国際貢献に取り組む自衛隊への評価は肯定的になった。北朝鮮の核開発の脅威は、国民の危機感を募らせた。
 こうした「追い風」が、防衛庁の悲願達成に有利に働いたのだろう。
 だが、組織の格上げは機能の強化や活動範囲の拡大に向かうのではないか。自衛隊が「軍隊」へと変質する第一歩にならないか、との危惧(きぐ)はぬぐい切れない。
 実際、省昇格と併せて、自衛隊の海外活動が、これまでの「付随的任務」から「本来任務」に格上げされた。
 自衛隊が海外で米軍などと行動をともにする機会が増えれば、集団的自衛権の行使に至る事態も生じかねない。
 さらに、政府与党には、海外派遣のたびに特別措置法を定める現行の方式を、随時派遣が可能な恒久法に変えようという動きがある。
 閣僚からは、核保有論議が必要だという声が上がり、集団的自衛権や憲法9条の見直しも取りざたされている。
 NHKの直近の世論調査では、防衛省昇格に「反対」は31%で、「賛成」の25%を上回った。国民は近ごろの安全保障論議につきまとう「きな臭さ」を感じ取っているのだ。
 だが、国会の審議は、防衛施設庁の官製談合問題に多くの時間を費やし、省昇格の必然性や安全保障の在り方についての論議は極めて不十分だった。
 「省」という立派な衣の下に、「軍事大国化」という鎧(よろい)が隠れていないか。国民が注視していかなければならない。(西日本新聞)


沖縄タイムス社説(15日も[教育基本法改正]「論議なお足りず禍根残す」を掲載していた)
[改正教基法成立]
政治に翻弄されるな
 安倍内閣が今国会の最重要法案と位置付けていた改正教育基本法が自民、公明の与党の賛成多数で可決、成立した。一九四七年の制定以来、野党がこぞって反対する中での改正である。
 「世論誘導」と非難されたタウンミーティングに象徴されるように、民意をないがしろにしてきた過去の教育行政の検証もなく、内閣不信任決議案や問責決議案などが飛び交う中での力ずくの成立である。
 不信任案の提案理由を説明した民主党の菅直人代表代行は「政府主催タウンミーティング(の運営)を官僚に丸投げする姿勢こそが安倍内閣の改革が偽者であることの証明だ」と厳しく批判した。
 これに対して、自民党の石原伸晃幹事長代理は「タウンミーティング問題で給与を国庫返納した首相のけじめは誠に潔い。内閣不信任案は正当性もなく、まったく理不尽だ」と反対した。
 国民はどう思っただろうか。国会で多数派をとれば、何でも介入できる道が開かれるという「数の力」への諦念、あるいは無力感ではないのか。
 約六十年ぶりの改正審議は、改正教基法の成立を最優先した政府、与党の思惑で事実上閉幕したと言えよう。
 それにしても、政治が教育内容に踏み込む道が開かれたのは納得できず、残念でならない。
 改正教基法には、これまで歯止めとなってきた「教育は不当な支配に服することなく」との言葉は残ったが、「この法律及び他の法律によって行われるべき」との文言が加わった。
 「法に基づく命令、指導は不当な支配ではない」(政府答弁)としているように、歯止めは限りなく無力化されている。
 教育が政治に翻弄される宿命を負うことになりかねない。返す返すも歴史に禍根を残したと言わざるを得ない。
 安倍晋三首相は「新しい時代にふさわしい基本法の改正が必要」と国会審議で繰り返し、現行法の「個」の尊重から「公」重視へと基本理念を変えた。新たに「公共の精神」「伝統と文化の尊重」などの理念も掲げた。
 だが、こうした理念がいじめなど現代の子どもの抱える問題の解決につながるかどうかは極めて疑問だ。
 日本人として、国と郷土を愛することは当然である。しかし、「内心の自由にはなにびとも介入できない」ように、法律は行為の在り方を定めるのであって、心の在り方を決めるものではない。
 安倍首相の教育改革論議は、現状を打破したいあまりに教育全体をどうするかの哲学に欠けていたと言いたい。

[防衛庁「省」昇格]
危ぶまれる「専守防衛」
 防衛庁「省」昇格関連法が参院本会議で、与党や民主党などの賛成多数で成立した。
 防衛庁は、来年一月九日から防衛省に格上げされ、防衛庁長官は「防衛大臣」となり、予算要求など権限が強化される。
 さらに、現行の自衛隊法で「付随的任務」とされている国連平和維持活動(PKO)や周辺事態法に基づく後方地域支援などの海外活動が国土防衛と同等の「本来任務」に格上げされる。
 談合事件で問題となった防衛施設庁は二〇〇七年度に廃止し、機能を防衛省に統合する。
 省昇格で、なお懸念が払拭されないのは防衛政策の基本原則である専守防衛や文民統制(シビリアンコントロール)、非核三原則などが今後変更されはしないかという点だ。
 久間章生防衛庁長官は「防衛政策の基本は変更しない。軍事大国とはならない」と言い切った。
 野党共闘を重視してきた民主党も、文民統制の徹底などを盛り込んだ付帯決議が採択されたことで賛成に回った。
 しかし、問題は今後、自衛隊の活動がどこまで憲法の枠内にとどまることができるのか、ということだ。これについての政府の明確な説明はない。
 むしろ、安倍晋三首相は歴代内閣が「憲法で行使が禁じられている」と解釈してきた集団的自衛権の見直しを研究する方針だ。
 具体例として、日本が導入を進めているミサイル防衛(MD)システムで、米国に向けて発射されたミサイルを迎撃する可能性を挙げている。
 政府はさらに、自衛隊の海外派遣が本来任務となるのに伴い、随時派遣が可能となる「恒久法」制定にも弾みをつけたい考えだ。
 恒久法の制定は、米軍再編で米軍と一体化した自衛隊の海外での武器使用基準の緩和にもつながりかねない。
 防衛省の誕生は、専守防衛や文民統制の在り方を大きく転換させるものであり、引き続き国会や国民の幅広い論議が必要だ。(沖縄タイムス)

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