神明神社(しんめいじんじゃ)

(←再建中・ストリートビューから転用)
     行徳神明(豊受)神社
 本社の起こりについては、金海法師という山伏が、伊勢内宮の土砂を中洲(江戸川区東篠崎町辺り)の地に運び、内外両皇大神宮を勧請して神明社を建立したのに始まるといいます。
 金海法師は土地の開発と、人々の教化に努め、徳が高く行いが正しかったところから、多くの人々に「行徳さま」と崇め敬われたといいます。
 この「行徳さま」がやがて行徳の地名になったというのですが、金海法師が行徳を訪れたのは大永七年(1527)のことといい、また天文十一年(1542)のこととも、慶長十九年(1614)のことともいわれています。
 中洲に建てられた神明社が、現在の地に遷座したのは寛永十二年(1635)のことで、葛飾誌略という本には
「中洲に在る時は小祠也。寛永十二乙亥(きのとい)大社に造立。その造立の節、十五ヶ村より寄進有りといふ。本願主田中嘉左衛門。元文二丁巳(ひのとみ)年・享保元申(さる)年とも田中三左衛門催しにて、祭礼に始めて屋台を出す。町内も此の時四丁に分る。新田とも屋台五つ、新宿客祭りとして屋台以上六つ也。」
とあって、屋台の出る賑やかな祭りの様子が伺われます。
 現在、三年に一度の祭礼には、神輿渡御の行事が行われ、大神輿が町内を練廻りますが、その勇壮な揉み方に特色が有り、揉み方保存会がその継承に当っています。
 なお本社の境内には金刀比社、道祖社、水神社羅、稲荷社の四社が祀られています。
     平成二年三月     市川市教育委員会   
                         (上欄六段目左の看板を写す)
2007/2/28放火により本殿焼失(写真四段目以降は旧社殿と再建中のもの)
2008夏再建

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