漢詩鑑賞 庵の案内へ 戻る 田舎暮らしにあこがれて

  

  田舎暮らしにあこがれて

   想歸田園 
            白居易
 戀他朝市求何事
 想取丘園樂此身
 千首惡詩吟過日
 一壺好酒醉消春

             七言律詩のうちの首・頷聯
                         
(か)の朝市を戀ひて何事をか求めんぞ、
丘園に想ひ取(いた)して此の身を樂しませむ。
千首の惡詩を吟じては日々を過ごし、
一壺の好酒に醉ひては春を消せん。

 「田舎に隠棲したい」        
あの都会に恋々として、どんな名利を求めるというのか、
丘のある田園に思い致して、我が身を楽しく憩わせよう。
幾多の下手な詩をうたって、日々を過ごしながら、
一壷のおいしい酒で、春の愁いを消そう。

定年になり職を退くと、特段のすべきこともない。大多喜と勝浦の丁度中間あたりに杉戸という大変綺麗な田舎がある。最近そこに小さな庵を手に入れてから一人籠もることが多くなった。その徒然に任せて、今まで余り読めなかった漢詩を、自己流に読んでみようかと、ふと思い立った。先ずは、陶淵明からと思ったのだが、何故か白楽天のこの詩の一節が浮かんできた。ここでの生活を自分なりに楽しもうとの試みはどんな成果を上げるやら。それは兎に角この詩が今の私の心境。

           

   鹿   柴            王 維
 空 山 不 見 人    但 聞 人 語 響

 返 景 入 深 林    復 照 青 苔 上


空山 人を見ず
但だ 人語の響くを聞くのみ
返景 深林に入り
復た照らす 青苔の上

人気のない山に人の姿は見えず、
ただ、聞こえるのは、遠くだれか人の語る声だけ。
夕日の光が深い林にさしこみ、
そして、青い苔の上を照らす。

この杉戸の庵は村中にありながら集落からちょつとはずれた数軒の別荘の建つ一角にある。鳥の囀りと遠く村の犬の声が聞こえてくる以外音もない。冬の日差しが縁から差し込んで、うつらうつらしているうちに、日が暮れていく。この詩は「庵の名に寄せて」のページでも紹介していたのだった。苔を育てているからか、苔が気になっていたのではないのかと思われる。中国の苔と日本のものとでは種類に違いがあるものなのか、その様子の違いが気になっている。
            

            
 
  遊 山 西 村         陸 游
 莫 笑 農 家 臘 酒 渾  豊 年 留 客 足 鶏 豚

 山 重 水 複 疑 無 路  柳 暗 花 明 又 一 村

 簫 鼓 追 随 春 社 近  衣 冠 簡 朴 古 風 存

 従 今 若 許 閑 乗 月  嗷 杖 無 時 夜 叩 門


 山西の村に遊ぶ
笑ふこと莫(な)かれ 農家の臘酒(ろうしゅ)の渾(にご)れるを
豊年なれば 客を留むるに 鶏豚 足れり
山重水複 路無きかと疑ふに
柳暗花明 又 一村
簫鼓(しょうこ) 追随して 春社近く
衣冠簡朴(いかんかんぼく)にして 古風 存せり
今より若し閑に月に乗ずるを許さば
杖を嗷(つ)きて時と無く夜に門を叩かん

「師走仕込みの酒が濁ったままだと、お笑いめさるな。これでも我が家の自慢のどぶろく。また、去年は豊年でしたから、お客さまに満足頂けるだけの鶏も豚もたっぷりございますから、ゆっくりなさっていってください。」と、老農夫に招かれた。
 重なる山を越え、川を辿り、もう道も途切れるかと思う頃、芽吹いて色濃い柳と明るく咲き誇る桃の花に迎えられて、村にたどり着く。
 鎮守の杜からか、春祭りも近く、笛や鼓の音が追いかけあって響いてくる。
 行き会う村人は素朴で落ち着いた振る舞いの中に心の温かさと古き良き風習を残している。
 ゆったりと、和やかな気持ちになって、別れる折には
 「これからも、お許しいただけるなら、月の美しい宵、街の疲れを忘れようと思いついた時にはきっとお訪ねしたいのですが・・。」とお願いしていた。


 この杉戸の村の人々は皆親切。「山重水複疑無路 柳暗花明又一村」と、桃源郷に憧れて、山道を越えると、手入れの行き届いた落ち着いた村に出る。路傍の新鮮な野菜売りのお年寄りのなんと話し好きで明るいこと。また、村の祭りは、街の何を祭っているのだか訳が分からない大騒ぎとは異なり、しめやかに、落ち着いて、いかにも神への感謝と祈りが込められているのが感じ取れる。そして、その雰囲気の中に身を置くとまことに心安らぐのです。
 この雰囲気はこちらの写真で。
          

   雑 詩         陶 潜
 人 生 無 根 蔕   飄 如 陌 上 塵

 分 散 逐 風 転   此 已 非 常 身

 落 地 為 兄 弟   何 必 骨 肉 親

 得 歓 当 作 楽   斗 酒 聚 比 隣

 盛 年 不 重 来   一 日 難 再 晨

 及 時 当 勉 励   歳 月 不 待 人


人生 根蔕(こんてい)無し
(ひょう)として陌上(はくじょう)の塵のごとし
分散し風を逐(お)ひて転じ
此れ已に常の身に非ず
地に落ちて兄弟と為る
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
歓びを得ては当に楽しみを作(な)すべし
斗酒(としゅ)もて比隣(ひりん)を聚(あつ)めん
盛年 重ねては来たらず
一日(いちじつ) 再びは晨(あした)なり難し
時に及んで当に勉励すべし
歳月 人を待たず

人生には木の根や果実のへたのようなしっかりしたものがない。
あたかもふわふわと風に漂う路上のほこりのようなものだ。
だからばらばらにちらばり、風のまにまに転がされてしまい、
この身はもはや、永遠不変の身ではない。
われわれはだれもみな、地に落ちて兄弟となる。
どうして骨肉を分け合うた肉親の兄弟だけが兄弟となるのだろうか、いや、われわれはみな兄弟となる。
よろこばしいことがあれば心ゆくまで楽しむのがよいだろう。
一斗の酒でもあれば、さあ隣近所の兄弟を集めよう。
若い時は二度とは来ない、
一日に朝の二度来ることはあり得ないように。
その時その時に、心ゆくまでその楽しみに励むのがよい、
歳月は人を待たないのだから。
最後の四句(盛年 重ねては来たらず/ 一日 再びは晨なり難し/ 時に及んで当に勉励すべし/ 歳月 人を待たず)がよく知られている。特に最後の句は慣用句になっていて、「寸暇を惜しんで勉強せい」と胡散臭いことを言っているのが陶淵明だと知った時、奇異に思ったものだった。
 こうして詩の全体を見ると、「歓びを得て楽しみを作す」ことに「勉め励め」という句が、どうして「若い時はすぐに過ぎ去ってしまうのだから時を惜しんで勉強しなさい」と言うような訓辞になって広まってしまったのか不思議ではある。どこぞの「儒学者」が教訓にしてしまったのだろうか。

           

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