新年のご挨拶   二社三寺の初詣  庵案内へ戻る 2005年 元旦 

        ・

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
         


 杉篁庵さんこうあんにも、早くも二度目の春が来ようとしています。
 定年後、一年間の再任用、その後は私立高校で産休育休の代用講師としてほぼフルに授業を持って、この三月までは教師生活が続きます。で、いよいよ無職の生活になりそうなのですが、週に二、三日くらいの仕事はないかと自分勝手な都合のいいことを願っているこの頃です。
 しかし、あれこれ彷徨さまよった揚げ句、何処に落ち着けばいいのか、未だ定まらないというのは相当に愚昧ぐまいと言うしかないようです。
        


 呼雛籬外鶏 籬外草満地
 雛飛欲越籬 籬高堕三四

  雛(ひな)を呼ぶ 籬外(りがい)の鶏
   籬外 草 地に満つ
   雛飛びて 籬(かき)を越えむと欲す
   籬高くして 堕つること三四
      酉年にちなみ 「春風馬堤曲」より 与謝蕪村
                   
 

                  
 いずれにしろ新年、   
 今年も宜しくお願いいたします。                 
 また、このホームページも、休止状態でしたが、この春から再開したいと思っています。

追記
 国道二九七号線の大多喜と勝浦を結ぶ丁度半ば辺りの杉戸という里。竹林の多い里です。裏の山をみると、杉と竹が相半ばするかと思われるほど、麓から中腹にかけて竹林が広がっていて、いつも鶯が庭先で鳴いています。
 この鶯の郷に「杉篁庵さんこうあん」と、里の名とこの風景を庵の名にした茶室にDKをつけた小さな庵を持ちました。
 ここでどう暮らすのかは、まだ定まりません。ぼんやり、静かに過ごしてみようかという思いだけがあり、その穏やかな生活の中から、何を生み出そうとするつもりなのかは自身にも判然としないのですが、何かが生まれることを期待したい気もあるのです。その報告がこのHPで出来ればと思って作り始めたのですが、どうなりますやら。

 また、北軽井沢の山荘「ぱれっと」は、夏は過ごしやすいところです。夏の間は、ほぼ此方にいることが多いかと思います。

 この先、自分が何をするのか、何をしたいのか、なかなか定まりません。ひたすら惚けつづけるのでしょうか。            
 定年を迎えて二年が過ぎようとしています。今はひたすらこれまでの自分を支えてくれた方々に感謝しているところです。
 

 蕪村
      ・この句の解釈はこちらが参考になります。
         私にも解釈はあるのですがそれはまたの機会に。


         紙本淡彩、蕪村筆の一幅。『荘周胡蝶図』。


今年も宜しくお願いいたします。






                   





我が家の正月・「二社三寺の初詣」

我が家のある街は、都心から地下鉄で三十分ほど。江戸時代の街に、この半世紀の新しい町作りで新たに造成された街が融合して出来ている。そんな住環境にある。
 この大晦日、昼前に降り出した雪はやがて雨になった。隣のお宮の雨の中での新年を迎える準備はなかなかに大変そうだった。が、今年はテントが一張り少なくなった。夜の九時過ぎにいつものように犬の散歩にでたのだが、小雨が降っているからか、夜回りのジャランジャランの音以外静まりかえっていた。紅白が終わってNHKが「行く年来る年」を始めると、隣のお宮に初詣する人々が並びはじめ、やがて零時の時報とともに参拝が始まり、例年は、我が家の前にも更に先までも行列が出来る。この十数年で集まる人が何倍も多くなった。しかし今年は天候不順であったからか、雨はやんだものの例年の半分ほどの人出であった。いつもはその行列が少し納まったころ(0時半か一時過ぎてから)初詣に出るのだが、今年は早めに出掛けた。
 先ずは隣のお宮でお払いをしてもらって、御神酒か甘酒かカルピスを頂き、次にこの地域で一番大きなお寺に行く。ここはまだ除夜の鐘を突く人の行列が続いている。こちらも人出は半減していたが今年から整理券になったもののやはり三十分は待つという。初詣は又別の列で近年はこちらも多くの人が並ぶ。上にのぼって年始の挨拶。次にこの隣のお寺に詣でる。ここは屋台の店が出たりお札・お守りの類を売っていたのが今年は閉まったまま。我が家で生活していた犬猫はここに眠っている。で彼らの廟の前に行き、お詣り。次にこの五ヶ町の御神輿を納める神社に詣でる。ここでお蜜柑と御神酒・お汁粉を頂く。いつの頃からかここで破魔矢を買う慣わしになった。最後になってしまうのだが、先祖・父の眠るお寺(ここも我が家に接している)に行きご挨拶。いつもより列ぶ時間も少なかったこともあって、まだお講が続いていた。お蜜柑と干支の飾り物を頂いて帰る。この間行程は距離にして一キロもない。多分三十年以上はこんな風であろうか。以前は子供と一緒にまわったりしたが、今は夫婦だけで回る。
 子供達が小さい時は、と言うよりこちらが体力的に元気だった時は、この後鎌倉建長寺の山上で初日の出を拝み、八幡宮をまわって帰って来て、元日の朝を家で過ごす事もあったのだが、近頃は寝ないと後がきつい。
 いったん寝た後、元旦の朝の行事を簡単に行う。
 神棚・仏壇・荒神宮・お稲荷さんにそれぞれ御神酒・お灯明をあげて、新年の挨拶。家族の揃うのを待って改めての新年の挨拶。
 ところで今年は息子・娘が暮れも正月も時間不規則に仕事に出ていて、いつが揃う時間かはっきりしない。かろうじて年の内にそばを一緒に食べられ、元日の朝も何とか揃った。
 で、ここで今年の抱負などを語ると良いのだが、どうも定年後の抱負というのはなかなか定まらなく捕らえ所がない。お屠蘇に酔って朝からうつらうつら。えっ、これからはずっとうつらうつら・・・となるまいというのが抱負と言えば抱負か。     

               
鉢植えの梅。今年も五日前
から部屋の中に入れておい
たら元旦には半ば開いた
         

        <参考> 去年の「年賀」はこちら