高原の生活にちなんだ詩を、立原の愛用した十四行詩にして、書いてみました。
思想性のない「詩」が詩として成立するか疑問ですが。
詩 ・「組曲」高原の一日 ・ §五月の風§ |
「夜明け」 闇は静かに去り あたりが白みはじめ、やがて 小鳥たちが歌いだす いつしか空は茜色に染まって 山の端がくっきりと象られ 空がいよいよ青さを増し 雲の形を際だたせると 太陽が暖かな光を頬におくってくる しかし、想いは昨日に戻っていくこともなく 心静かなれと 今日の日の麗らかさを願う いよいよ色ます若葉の中に 咲き始めた花の数を数えて そうして「今日」が始まったのです |
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shino.さんの評 パレットさんの「夜明け」の詩を読んで、改めて、夜明けの(黒、白、茜色、青、若葉と)次から次へと色彩が移ろい行く時間を味わったような気がしました。 |
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「朝」 散歩する犬に「おはよう」と声をかけ、 落葉松の林を抜ける。 しじまに鳥の囀りが響き、 白い花を咲かせたコブシは静かに立っている。 丘からは、斑に雪を残す山並みが、遠く、薄水色の空に連なり、 浅間が、白い噴煙を中空にゆったりと 南の空に向けてたなびかせている姿が、よく見えた。 眼下に広がる林は、微かに萌黄色に染まりはじめている。 ベンチに腰をおろして空を眺め続けた。 時の移ろい行くのは、その雲の形変えることから知れるばかり。 空と山と鳥の囀りと虫の羽音と…… 梢を揺らすほどでもないそよ風が、頬を撫で 優しい春の光の暖かさにうっとりする。 そうして高原の「朝」は過ぎて行った。 |
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shino.さんの評 「時の移ろい行くのは、その雲の形変えることから知れるばかり。」 朝のさわやかな感じが、とってもいいです〜。 |
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「昼」 麗らかな昼下がり、林を歩くと、 聞こえてくる音が風景を色付ける。 鳥たちはそれぞれに澄んだ囀りを交わし、 鴬もこの高原ではとりわけ高く澄んだ声。 木漏れ日を映してきらきら輝く 岩間の小さなせせらぎ。 時に遠くから近づきやがて頭上を吹き過ぎていく風が 落葉松を揺すり、雑木林を葉を落として吹き過ぎる。 林を歩く緩やか足音にも、 雑木林の落ち葉を踏む音、落葉松の落ち葉の道、 石ころ道・砂道・草の道とそれぞれの音の色。 楽譜でも楽器でも表せないこうした音に、 色の名のような名付けはないのだろうか、と、 こんなふうに、「昼」はのどやかな時を刻み……。 |
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shino.さんの評 「林を歩く緩やか足音(引用)」も、歩く道によって、「それぞれの音の色(引用)」をしている。 歩き続けることしかできない日常の中でも、耳を澄ませば、その足音は違うのですね。 |
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「夕暮れ」 芽吹き始めて浅緑に染まる木立の中に、 白いコブシの花と薄紅色の山桜の花は、 ひっそりと、しかし鮮やかに その幹も春の斜陽を浴びていた。 帰り道、不意に現れた小川のほとりには、 芹、蕨、蕗の薹、山葵……春の草々。 木立を抜ける夕日は眩しく、 手を浸せば、流れは痛いほどの冷たさ。 草を摘んで時を過ごし、やがて、 かげりの涼しさに、見上げれば、 梢を揺らす風もなく、流れる雲もない。 いつしか西の空は薄く色づいて、 ひとり帰途を急ぐ己が足音を聞きながら、 「夕暮れ」の刻を、迎えたのだった。 |
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shino.さんの評 季節感豊か! 「春の草ぐさ」を摘むという、“動”の印象から、「見上げれば、梢を揺らす風もなく、流れる雲もない」という、“静”への印象への一連の流れに、夕暮れ時の“切なさ”を感じました。 |
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「夜」 いつ雨になったのだろうか。 雫の音に驚かされて窓の外を眺めやると、 闇の中にも雪柳の白い花はしっとり濡れ、 若芽の先端にも滴が光っていた。 若き日に読んだ詩集を取出して 懐かしく読んでいたのだった。 やわらかな灯火の下には 詩人の情が鮮やかに浮かんでいた。 窓を閉じ、本も閉じて、 若くしてみまかった詩人を偲びながら、 静かなソロのジャズをかける。 こんな夜、ストーブの前の揺り椅子に座われば やはり、コーヒーよりスコッチが良い。 心地よい酔いに、いつの間にか「夜」は更け…… |
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shino.さんの評 組曲「高原一日」の完成ですね〜! 「やわらかな灯火の下に詩人の情が鮮やかに浮かんでいた(引用)」 私も、そのような感じで読ませて頂きました〜(*^^*) |
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