詩集・立原道造
高原の生活にちなんで、 軽井沢をこよなく愛した夭折の詩人・立原道造の詩と生涯を紹介します。 彼の詩は若い時(高校大学時代)に愛唱していました。 私が軽井沢の雰囲気を楽しむ原点になっている気がしています。 |
|
|
四つの詩集と「拾遺」より数編を選んだページ及び「生涯」は 縦書きでつくってあります。 写真は立原道造記念館のHPから 銀座ニュートーキョーにて 1938年(昭13)春頃 23歳 |
立原道造詩集 | 道造の生涯と資料 | ||
『萱草に寄す』 | 『暁と夕の詩』 | ・道造の生涯T・ | ・道造の生涯U・ |
『田舎歌 』 | 『優しき歌 T』 | ・道造の生涯V・ | ・道造の抒情・ |
『優しき歌 U』 | ・「拾遺」より好きな詩・ | ・年譜(別ウインドウ)・ | ・四季とコギト・ |
本文は、角川書店 立原道造全集 第一巻(1971)による
肖像写真の画像および資料提供:立原道造記念館
立原は、軽井沢を愛し、建築と詩にその才能が期待されながら、澄んだ魂のまま「五月の風を
ゼリーにして持ってきてください」の言葉を残して二十四歳という若さでこの世を去りました。 室内楽にも似た、ソナチネの調べを運ぶ詩からあふれでる抒情の響きは、青春の光芒を永遠に灼きつけ、時代を越えて今なお輝きを失わず、人々に愛唱されています。 1997年には東京大学弥生門前に「立原道造記念館」が、2004年には、さいたま市別所沼公園に、立原の設計した「ヒアシンスハウス」が建設され、彼の夢の一つが実現しています。 |
|
1914年(大
3)、東京日本橋に生まれる。東京府立第三中学校、旧制第一高等学校を経て、 1934年(昭 9)東京帝国大学工学部建築学科入学、この夏、初めて軽井沢を訪問、以後、毎夏信濃追分に滞在。一高時代より堀辰雄に兄事、大学入学後は堀の主宰する「四季」の編集同人となりました。大学在学中、建築学科の辰野金吾賞を卒業まで3年連続受賞。建築設計の次代を担う才能と期待されました。 1937年(昭12)、詩集『萱草に寄す』『暁と夕の詩』を出版。 1939年(昭14)、2月、第1回中原中也賞を受賞するも、同年3月、24歳という若さで逝去。 |
◎北軽井沢周辺の散歩道 | ||
◎北軽井沢の四季(写真 ) | ◎北軽井沢雑記帳 | ◎リンク |
◎ぱれっとトップへ戻る |