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 拾遺詩編より
  ・目次
    燕の歌       ・・@
    夏の旅       ・・A 
    ゆふすげびと    ・・B 
    晩 秋       ・・C 
    草に寝て      ・・D 
    風に寄せて     ・・E
   




  

  
  燕の歌
    春来にけらし春よ春
      まだ白雪の積れども

             ―草枕―


灰色に ひとりぼつちに 僕の夢にかかつてゐる
とほい村よ

あの頃 ぎぼうしゆとすげが暮れやすい花を咲き
山羊が啼いて一日一日 過ぎてゐた
やさしい朝でいつぱいであつた――

お聞き 春の空の山なみに
お前の知らない雲が焼けてゐる 明るく そして消えながら
とほい村よ

僕はちつともかはらずに待つてゐる
あの頃も 今日も あの向うに
かうして僕とおなじやうに人はきつと待つてゐると

やがてお前の知らない夏の日がまた帰つて
僕は訪ねて行くだらう お前の夢へ 僕の軒へ
あのさびしい海を望みと夢は青くはてなかつたと
 



 
  夏の旅


  T 村はづれの歌

咲いてゐるのは みやこぐさ と
指に摘んで 光にすかして教へてくれた――
右は越後へ行く北の道
左は木曾へ行く中仙道
私たちはきれいな雨あがりの夕方に ぼんやり空を眺めて佇んでゐた
さうして 夕やけを脊にしてまつすぐと行けば 私のみすぼらしい故里の町
馬頭観世音の叢に 私たちは生れてはじめて言葉をなくして立つてゐた

  U 山羊に寄せて

小さな橋が ここから村に街道は入るのだと告げてゐる
その傍の槙の木のかげに 古びて黒い家……そこの庭に
繋がれてある老いた山羊 可哀さうな少年の優しい歓びのやうに
誰かれにとなく ふるへる声で答へてゐる山羊――
いつもいつも旅人は おまへの方をちらりと見てすぎた

  V 田舎歌

村中でたつたひとつの水車小屋は
夏が来て 屋根を葺きかへた
一日たのしい唄をうたつて飽きない
あの水車小屋は何をしてゐるのだらう
小川よ 太陽よ おまへらの緩い歩みにしらべあはせて
あの水車小屋は何をまはつてゐるのだらう

  W 憩ひ___  I・Tへの私信
 昔むかし僕が夢を美しいと信じた頃、夢よりも美しいものは世になかつた。しかし夢よりも美しいものが今日僕をとりかこんでゐるといつたなら、それはどんなにしあはせだらうか。信濃高原は澄んだ大気のなかにそばが花咲き、をすすきの穂がなびき、遠い山肌の皺が算へられ、そのうへ青い青い空には、信じられないやうな白い美しい雲のたたずまひがある。わづかな風のひびきに耳をすましても、それがこの世の正しい言葉をささやいてゐる。さうして僕は、心に感じてゐることを僕の言葉で言ひあらはさうとはもう思はない。何のために、ものを言ひ、なぜ訊くのだらう。あんなことを一しよう懸命に考へることが、どこにあるのだろう。Tよ、かうしてゐるのはいい気持。はかり知れない程、高い空。僕はこんなにも小さい、さうしてこんなにも大きい。

  X 墓地の方

霧のふかい小径を よくひびく笑ひ声が僕を誘つた はじめての林の奥に
白樺の木のほとりで―― ああ 僕のメエルヘン! (梢は 風に飛ぶ雲の歌をうつてゐる)

薊の花のすきな子であつたが 知らぬ間に僕の悲哀を育ててゐた
みちみち秋草の花を手折りながら
                  
帰るさ ひとりの哀しい墓に 憂ひの記念かたみ
僕らは 手にした花束を苔する石に飾つて行つた――

  Y 夏の死

夏は慌しく遠く立ち去つた
また新しい旅に

私らはのこりすくない日数をかぞへ
火の山にかかる雲・霧を眺め
うすら寒い宿の部屋にゐた それも多くは
何気ない草花の物語や町の人たちの噂に時をすごして

或る霧雨の日に私は停車場にその人を見送つた
村の入口では つめたい風に細かい落葉松が落葉してゐた
しきりなしに
……部屋数のあまつた宿に 私ひとりが所在ないあかりの下に その夜から いつも便りを書いてゐた

  Z 旋のをはり

昨夜 月の出を見たあの月が
昼間の月になつて 朝の空に浮んでゐる
鮮やかな群青は空にながれ
それが散つては白い雲に またあの月になつたと

幾たびかふりかへり見 幾たびかふりかへり見
旅人は 空を仰いで のこして来た者に尽きない恨みを思つてゐる
限りないかなしい嘘を感じてゐる


 
    ゆふすげびと

かなしみではなかつた日のながれる雲の下に
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた、
それはひとつの花の名であつた

それは黄いろの淡いあはい花だつた、
僕はなんにも知つてはゐなかつた

なにかを知りたく うつとりしてゐた、
そしてときどき思ふのだが一体なにを
昨日の風は鳴つてゐた、林を透いた青空に
かうばしい さびしい光のまんなかに
あの叢に咲いてゐた、そうしてけふもその花は
思ひなしだか 悔ゐのやうに――。
しかし僕は老いすぎた 若い身空で
あなたを悔ゐなく去らせたほどに! 

               
  
   晩 秋

あはれな 僕の魂よ
おそい秋の午后には 行くがいい
建築と建築とが さびしい影を曳いてゐる
人どほりのすくない 裏道を

雲鳥くもとりを高く飛ばせてゐる
落葉をかなしく舞はせてゐる
あの郷愁の歌の心のままに 僕よ
おまへは 限りなくつつましくあるがいい

おまへが 友を呼ばうと 拒まうと
おまへは 永久孤独に 餓ゑてゐるであらう
行くがいい けふの落日のときまで

すくなかつたいくつもの風景たちが
おまへの歩みを ささへるであらう
おまへは そして 自分を護りながら泣くであらう
 

            
 
   草に寝て……
     六月の或る日曜日に

それは 花にへりどられた 高原の
林のなかの草地であつた 小鳥らの
たのしい唄をくりかへす 美しい声が
まどろんだ耳のそばに きこえてゐた

私たちは 山のあちらに
青く 光つてゐる空を
淡く ながれてゆく雲を
ながめてゐた 言葉すくなく

――しあはせは どこにある?
山のあちらの あの青い空に そして
その下の ちひさな 見知らない村に

私たちの 心は あたゝかだつた
山は 優しく 陽にてらされてゐた
希望と夢と 小鳥と花と 私たちの友だちだつた
 
 

 
 
  風に寄せて

   その一

しかし 僕は かへつて来た
おまへのほとりに草にかくれた小川よ
またくりかへしておまへに言ふために
だがけふだつてそれはやさしいことなのだ

手にさはる 雑草よ さはぐ雲よ
僕は 身をよこたへる
もう疲れと 眠りと
真昼の空の ふかい淵に……

風はどこに? と 僕はたづねた そして 僕の心は? と
あのやうな問ひを いまはくりかへしはしないだらう――
しかし すぎてしまつた日の 古い唄のやうに

うたつたらいい 風よ 小川よ ひねもす
僕のそばで なぜまたここへかへつて来た と
僕の耳に ささやく 甘い切ないしらべ


   その二

僕らは すべてを 死なせねばならない
なぜ? 理由もなく まじめに!
選ぶことなく 孤独でなく――
しかし たうとう何かがのこるまで

おまへの描いた身ぶりの意味が
おまへの消したさかひの意味が
風よ 僕らに あたらしい問ひとなり
かなしい午后 のこつたものらが花となる

言葉のない ざはめきが
すると ふかい淵に生れ
おまへが 僕らをすこやかにする

光のなかで! すずしい
おまへのそよぎが そよそよと
すべてを死なせた皮膚を抱くだらう


   その三

だれが この風景に 青い地平を
のこさないほどに 無限だらうか しかし
なぜ 僕らが あのはるかな空に 風よ
おまへのやうに溶けて行つてはいけないのだらうか

身をよこたへてゐる 僕の上を
おまへは 草の上を 吹く
足どりで しやべりながら
すぎてゆく……そんなに気軽く どこへ?

ああふたたびはかへらないおまへが
見おぼえがある! 僕らのまはりに
とりかこんでゐる 自然のなかに

おまへの気ままな唄の 消えるあたりは
あこがれのうちに 僕らを誘ふとも どこへ
いまは自らを棄てることが出来ようか?


   その四

やがて 林を蔽ふ よわよわしい
ぅすやみのなかに 孤独をささへようとするやうに
一本の白樺が さびしく
ふるへて 立つてゐる

一日の のこりの風が
あちらこちらの梢をさはつて
かすかなかすかな音を立てる
あたりから 乏しいかげを消してゆくやうに

(光のあぶたちはなにをきづかうとした?)
――日々のなかの目立たない言葉がわすれられ
夕映にきいた ひとつは 心によみがへる

風よ おまへだ そのやうなときに
僕に 徒労の名を告げるのは
しかし 告げるな! 草や木がほろびたとは……


   その五

夕ぐれの うすらあかりは 闇になり
いま あたらしい生は 生れる
だれが かへりを とどめられよう!
光の 生れる ふかい夜に――

さまよふやうに
ながれるやうに
かへりゆけ! 風よ
ながれるやうに さまよふやうに

ながくつづく まどろみに
別れたものらは はるかから ふたたびあつまる
もう泪するものは だれもゐない……風よ

おまへは いまは 不安なあこがれで
明るい星の方へ おもむかうとする
うたふやうな愛に 擔はれながら